今日、紹介するのは韓国映画の「復讐者に憐れみを」。監督は「オールドボーイ」でカンヌのグランプリを受賞したパク・チャヌク。大の映画好きで若い頃から映画評論家、映画雑誌編集者として映画の仕事に携わり、2000年に国策映画「JSA」で大ヒットをたたき出します。本作は2002年に撮られた作品で同年の東京国際映画祭のクロージングを飾った作品でしたが、日本で上映が決まったのは「オールドボーイ」公開後になりました。

 作品を見ればわかるのですが、この作品は問題作です。一般ロードショー公開ができなかったのもわかる。本作、「オールドボーイ」そして現在製作中の「親切なクムジャさん」(仮題)はいずれも復讐がテーマにされた作品で復讐三部作と呼ばれるらしい。大林宣彦の尾道三部作とはえらい違いだ。はっきり言って私もこの作品はあまり好きではありません。悪趣味と思えるほどの残酷シーン、グロテスクシーンが満載で見るに耐えないのです。が、それで切り捨てられる作品でもないのです。

 聾唖の工員、リュ(シン・ハギュン)は両親もなく、姉とスラム街で暮していた。姉は絵の才能があったリュを美大に進学させるために工場で働いていたが腎臓の病気にかかって今は療養している。リュは美大をあきらめ、工場で働いていた。

 彼はラジオ局に姉への思いを綴った手紙を出す。喋れない自分に代わってパーソナリティにその手紙を読んでもらおうと思ったのだ。腎臓移植が必要な姉に彼は自分の片方の腎臓を提供しようと決意したのだ。だが、彼の腎臓は不適合だった。さらに彼は工場から解雇される。姉の看病のために欠勤したことがその原因だった。退職金は一千万ウォン。

 金があっても姉を救うことはできない。彼は藁をもすがる思いでチラシに載っていた臓器売買の売人と取引しようとする。そんな売人がまともな奴なわけがない。彼は自分の腎臓を取られ、一千万ウォンを奪われる。運命は皮肉であり、なんと姉の腎臓にぴったりのドナーが現れる。「費用は一千万ウォンだ。手術は来週だ」と微笑む医者の前でリュは力なく微笑んだ。

 「これはいい誘拐なのよ」とリュの恋人で無政府主義者のヨンミ(ペ・ドゥナ)は彼を励ました。小さな町工場のパク社長(ソン・ガンホ)の娘のユソンを誘拐した。(韓国では誘拐事件がとても多い)娘は母親がおらず、父が多忙で人に預けられることが多かったためか彼らに簡単になついた。娘を何よりも愛しているパク社長は彼らを信じ、金を出した。「いい誘拐」は何事も起こらずに終わろうとしていたが。。

 映画は無機質な感じで淡々と進みます。主人公の住む殺風景なアパートに人間味を感じられない工場などが印象的なのですが、画面全体にどんよりとした雰囲気が漂っています。不幸、災難のドミノ倒し。繰り返されるグロテスクなシーン、目を覆いたくなる拷問シーンの末の衝撃のラスト。情け容赦なく、一切の救いもなくて血が流れて死んでいく。拷問や殺害のシーンがすごくリアルで厭。(しかも実用的)これほど気分が悪くなる映画はないのだが、おそろしく心が冷え切った中でいっぺんの救いであったのはリュとヨンミの関係であろう。エレベーターの中でリュが冷たくなったヨンミの手を握るシーンが切ない。

 ヨンミを演じたのは「子猫をお願い」のペ・ドゥナ。ヨンミはリュを犯罪にいざなっていく、とんでもない女なんだがどこかはねっかえりのお転婆に見えて憎めない。いい誘拐と悪い誘拐について熱弁する姿とか咥えタバコ(彼女はタバコを吸う役柄が多いなあ)で反政府ビラを配るシーンもどこか微笑ましい。これは彼女の魅力でしょう。小ぶりの乳房を揺らしながら、激しく騎上位でセックスするシーンがあり。韓国の女優さんは惜しげなく脱ぐねえ。日本も見習え!河原で出会う脳性まひの青年を演じていたのは「品行ゼロ」のリュ・スンボム。よくもまあこんな役をやったもんだ。

 復讐をテーマにした小説や映画は東洋西洋を問わずに山ほどあります。西洋に「ロミオとジュリエット」「ハムレット」がありますし、日本でも曾我兄弟や忠臣蔵などがありますな。「このうらみ、はらさでおくべきか」「この恩は生涯忘れません。いつかお返しします」この報復と報恩というものは人間の本性なのでしょう。しかし、報恩はともかくとしても報復、復讐ほど不経済で後ろ向きな行為はありません。敵を取ったとしてもその人が生き返ってくるわけでもありませんしね。ブラジルの「ビハインド・ザ・サン」は復讐の連鎖で傷つけあっていく二つの一族を描いていますが、およそその姿は悲惨そのものです。「復讐者に憐れみを」のリュは姉を救うために様々な努力を続けます。が、運命の悪戯というか、考えが甘いというか、だんだん窮地に追い込まれていきます。窮地に追い込まれ、彼は復讐に憑かれていく。しかしその彼も、復讐の対象になっていたのだ。復讐はとても後ろ向きで、しかも終わりがない。

 「オールドボーイ」は15年間も監禁された男が犯人を捜していく話です。従来の復讐物と違うのは犯人はあっさりと見つかり、なぜ彼を閉じ込めたのかを知るために彼は戦っていくことになるのだ。この映画での復讐は後ろ向きと言うより、「生きる意味」とすら扱われ、「復讐は体にいい」という言葉まで出てきます。そして「復讐を生きる意味にした者が復讐を果たしたあとにどう生きていくか」までもが盛りこまれています。「復讐者に憐れみを」と対照的なのも面白い。次回作で復讐をどう扱うのか、ひそかに楽しみである。

監督:パク・チャヌク 脚本:イ・ジョンヨン、イ・ジェスン、パク・リダメ 撮影:キム・ビョンイル
キャスト:ソン・ガンホ、シン・ハギュン、ペ・ドゥナ、リ・スンボム、イム・ジウン、キ・ジュポン、イ・デヨン

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 今日、紹介するのは香港映画の人気シリーズの第一作となった「ゴッドギャンブラー」。香港映画というのは、大らかというか、自由な発想って言うのか、混沌としてるというかはっきり言えばめちゃくちゃなんですが、パクリの連続でパロディだらけです。この「ゴッドギャンブラー」シリーズがいい例。

 89年に王昌(映画秘宝はウォン・ジンと書いているがキネ旬のデータベースではバリー・ウォンと書いている。どっちが本当なのか。。。一応、ここではバリーウォンと書く)がチョウ・ユンファを主演にして撮ったのが「ゴッドギャンブラー」。大ヒットした作品をほっとくはずもなく、ジェフ・ラウが「ゴッドギャンブラー 賭聖外伝」(この作品と区別するために「ゴッドギャンブラー」は賭神と呼ばれるらしい)を撮ります。この主演が「少林サッカー」のチャウ・シンチーでこの映画は元ネタを上回る大ヒットをあげて、彼は人気俳優の仲間入りをします。ここからが実に香港的なんですが、今度はバリー・ウォンがパロディ作に出ていたチャウ・シンチーとアンディ・ラウで「ゴッド・ギャンブラー2 賭侠」を撮ります。星爺の役柄はパロディ作とほとんど同じ。続いてバリーウォンは「ゴッドギャンブラー3」を星爺が主演で撮ります。まだまだ終わらない。バリーウォンはチョウ・ユンファともう一度組んで「ゴッドギャンブラー」の続編として「ゴッドギャンブラー完結編」を撮ります。チョウ・ユンファが出ている「ゴッドギャンブラー」はこの二作のみ。さらにチョウ・ユンファの青年時代をレオン・ライで描いた「ゴッドギャンブラー/賭神伝説」もあります。他に星爺のパロディ作の続編「ゴッド・ギャンブラーリターンズ」もあるし、1999年にアンディ・ラウで撮った「ゴッド・ギャンブラー/賭侠復活」という作品もあるし。。「ゴッド・ギャンブラー/東京極道賭博」ってのもあるし。。。ああ、ややこしい。。。

コウ(チョウ・ユンファ)は負け知らずのギャンブラーで「賭神」と呼ばれて恐れられていた。東京で日本のヤクザを見事に倒したコウはそのヤクザから、シンガポールのシンという博徒と勝負して欲しいと頼まれる。引き受けたコウだったが、シンは残虐な男で殺し屋を送ってきていた。ボディガードに守られながら逃げるコウ。何とか振り切って思わず柵にもたれかかった。

ところがその柵はチンピラのナイフ(アンディ・ラウ)がいけすかないインド人を懲らしめるために細工をしてた柵だったのでたまらない。彼は丘から転落して頭を強く打ってしまう。ナイフに助けられ、意識を取り戻したコウは記憶をすっかり失っていた。自分の名前すらも思い出せずに知能も子供並みでチョコレートをむやみに欲しがる。ナイフとナイフの彼女のジェイン(ジョイ・ウォン)は彼を“チョコレート”と名づける。やがて“チョコレート”に賭博の才能があることに気づいたナイフは金貸しから借りて大きな博打に挑戦するが。。

 後半になると香港映画らしく、銃撃シーンもあります。もちろん、チョウ・ユンファは二挺拳銃。緊迫する博打の勝負まであっという間に流れていきます。ここも十分に醍醐味はあるのですが、やはり中盤のアンディ・ラウとのドタバタコメディがなんとも楽しい。この作品の面白さは賭神と呼ばれる男が記憶喪失で子供のような男になってしまうところにある。薄ら笑いを浮かべるクールな男がチョコレートをねだる駄々っ子になってしまうギャップが面白い。二枚目の印象が強いがこうした三枚目をきっちり演じることができるのだ。チョウ・ユンファは本当に器用な役者だね。その“チョコレート”に手を焼きながらも見捨てることができない気のいいチンピラのナイフをアンディ・ラウがコミカルに演じている。血眼になって探しているラウの前にユンファが風船持ってアイスをかじながら出てくるシーンが好きだ。金貸しのン・マンタも面白い。

監督、脚本:バリー・ウォン 製作:ジミー・ヒョン、チャールズ・ヒョン

撮影:チュン・チーマン、パウ・ヘイマン 音楽:ローウェル・ロー

キャスト:チョウ・ユンファ、アンディ・ラウ、ン・マンタ、ジェイ・ウォン、チョン・マン、ヒョン・ワーキョン
 その昔。子供はその家だけの子ではなくて、地域の子供という考えがあった。子供を育てるのは学校だけでもなくて、親だけでもなくて地域全体の子という考えだ。もちろん、それには一人で子供を育てるのが困難なほど、皆が貧しかった実状があった。親にとっても子供にとってもそれがよかったのだ。今は個人が裕福になって”地域の子供”という考えがすっかりすたれてしまった。今日、紹介する「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」はそうした”地域の子供”という考えが生きていた時代の物語。

 1960年代初頭のパリ。華やかな表通りを裏に入った下町のブルー通にユダヤ人の13歳の少年、モモ(ピエール・ブーランジェ)は父親と二人暮しをしていた。母親はモモが生まれてすぐに離婚。ポポルという兄を連れて出て行ってしまった。父親はうだつがあがらず、家でもモモには小言ばかり。一言目に「ポポルはいい子だったのに」、そして「なのにおまえは。。」と続ける。モモにとってはいい父親とは言い難がった。

 モモの住む家からの風景は13歳の少年には教育によろしくなかった。真昼間から娼婦が街中でうろうろしているのだ。彼の関心事は一刻も早く、”大人”になることだった。子どものときから小銭をためてきた貯金箱。彼はえいや、と叩き割ると小銭をつかんで表へ駆け出した。近所の”アラブ人の”食料品店へ両替に。「16歳だよ、もう大人だ」。彼は晴れて大人になったのだ。

 ある日、ブルー通で映画の撮影が行なわれていた。女優(イザベル・アジャーニ)が”アラブ人の”食料品店で買い物をした。水に5フランの値段をふっかける店主のイブラヒムにモモは「ぼったくりだね」と声をかけた。「君がくすねた分を取り返さなきゃね」モモが買い物のたびにこっそりと万引きをしていたことをイブラヒムおじさんはお見通しだった。うろたえるモモにイブラヒムおじさんはこう続けた。「万引きを続けるのならうちの店で続けなさい。」と言い、にっこり笑いかけて手招きした。イブラヒムおじさんはモモを可愛がった。モモも様々な悩みを相談するようになった。やがて父親は仕事を解雇されて蒸発してしまった。モモは激しいショックを受けるが、イブラヒムの助言を得て、たくましく育っていく。。

 一口で言うと不幸な子供と孤独な老人との心の交流を描いた、シリアスなドラマなのですがブルー通りのごちゃごちゃした感じを舞台にしてユーモアたっぷりに描いているので楽しんでみてられます。モモが父親の蔵書を売り払って女を買いにいくシーンとかあるしね。イブラヒムおじさんを演じたオマー・シャリフもモモのピエール・ブーランジェの笑顔が素敵で大変に微笑ましい。映画を見ているこちらも自然に顔がほころんでくる。この二人のキャスティングが大変に成功している。「アラビアのロレンス」などで知られるオマー・シャリフの存在感が素晴らしい。映画の中でイブラヒムおじさんが笑顔の効用を教えるシーンがあるが、映画を見てると納得してしまう。イブラヒムおじさんのイメージは原作者(脚本も担当)のエマニュエル・シュミットの祖父だそうです。生涯を通じて職人として過ごし、物静かに笑顔で優しく語りかけるような祖父でエマニュエルは大変に影響を受けたようです。「人はふたつの場所に生きている、一つはベッド、もう一箇所は靴」。イブラヒムおじさんが「足を取り替えることはできないから」と靴を買うシーンが思い出されます。

 父はイブラヒムおじさんがイスラム教徒なので軽蔑の意味をこめて「アラブ人」と呼んでいたが、彼は実はトルコ人でイスラム教の神秘主義者のスーフィー教徒でコーランの教えに忠実に静かな暮らしを送っている。その彼とユダヤ人のモモが交流を深めるという設定も寓話的でいい。イスラム教というのは自爆テロや首切りなどで限りなくイメージが悪くなっているがそれが全てではない。イスラム教は非常に現実的な教えで多くの人に支持されてきた。そうしたイスラム教の一面を知るのにもいい映画だと思う。ぐるぐる回って悟りを得るというのはよくはわからないが平和的でいいじゃないですか。フランスと言えばキリスト教のイメージが強いがフランス人の三割はアフリカ系でイスラム教も多く入り込んだ多民族他宗教国家なのだ。

 フランス映画らしい丁寧に作りこまれた作品で心地よいテンポと軽快な音楽でぐいぐい惹きこんで行く魅力を持っています。下町の騒然とした雰囲気も食料品店の内装も落ち着いていい感じです。後半、やや失速したのが残念。今年はこういう外国映画も見ていこう。
 今日、紹介するのは第七藝術劇場で見てきた「アトミック・カフェ」。1982年に作られた作品です。どうしてそんな作品が話題になっているか、というと「華氏911」のマイケルムーアの映画の師匠がこの映画を撮ったラファティ兄弟。兄貴のケヴィンは撮影を担当しています。なおこの兄弟は何とブッシュの従兄弟。ムーアの「アホでマヌケなアメリカ白人」を読んでいる人は思い出そう。エピローグでジェフ・ブッシュ(ブッシュの弟でフロリダの知事)とケヴィンについて話すシーンがある。最もケヴィンはブッシュの親父を破ったクリントンのドキュメンタリーを撮ったりしています。なおムーアは彼と12年以上も仕事はしていないそうです。

 ムーアの映画の醍醐味と言えば、ダレがちなドキュメンタリーをテンポよく見せてくれるところにあります。その彼がよく使うのは昔の映像を引っ張り出して面白く使う。「華氏911」の「同盟軍の登場!」で数々の珍妙なフィルムをナレーションにうまくあわせて作っていた。「アトミックカフェ」は昔のキテレツな啓蒙映画やニュースフィルムを組み合わせて作られた作品です。ナレーションや新しく撮られたフィルムは使われていませんので、ムーアの映画とは印象が変わります。が、ムーアがこの映画から受けた影響は窺い知ることができます。そしてラファティ兄弟が選んだお題は「原爆」。第二次大戦終戦直前からのニュースフィルムや広報用フィルムがネタに使われています。

 今でこそ、核爆弾は全世界でも減らしていこうという風潮になっていますが当初はそうでもありませんでした。エノラ・ゲイ(広島に原爆を投下した爆撃機)の機長のインタビューからこの映画は始まります。原爆の投下が戦争の終結を早めたと当時の大統領だったトルーマンが語ったように原爆は強力な武器でした。日本でも終戦直後に「原爆ラーメン」だのありましたし、プロ野球でも松竹水爆打線ってのもありました。「原爆固め」もあったよな。朝鮮戦争で原爆を使うべきだと主張したマッカーサーは熱烈に支持されました。アメリカの50年代はマッカーシー旋風が吹き荒れて、共産主義者は追放されてしまいます。その中で"I like lke"の風に乗って、二次大戦の英雄で政治家としては全くの無能であったアイゼンハワーが大統領になります。

 そうした社会風潮で撮られた広報映画やニュース映画が多く使われています。前半のエノラ・ゲイ機長のインタビューと能天気に原爆の威力をたたえる阿呆なロカビリーは正直、むかついた。関西在住の方は思い出してくれ。最近まで「京都に空襲がなかったのはアメリカが文化財の破壊を望んでいなかったからだ。」とか言う説があったが、京都は原爆投下の第三候補であり、空襲しなかったのは原爆の威力を試すつもりであったのだ。投下予定地は私の実家から50mも離れちゃいねえ。一つ間違えば、私は生まれてこなかったのだ。原爆の効果を試すってこいつらは日本を何だと思ってやがんだ。被爆者の映像もあるしね。こういう映画を見て目くじら立てて怒るのは野暮天かもしれねえが、やっぱアメリカは地獄に落ちろ。アルカイダがアメリカに核を落とすとか言っていたが、いっぺんやったったらいい、と思う。俺は応援するぜ!

 面白かったのはカメのバートが出演する「DUCK and COVER」。原爆が落ちたらどうする?→さっと隠れて頭を覆え。放射能は?→大丈夫!全然危険じゃない、と笑うという唖然とするアホアホすぎる子供向けの教育映画。こうした冷戦下のアホアホな啓蒙映画はサウスパークでもネタにされてました。製作者はこんなのを真面目に作ってたのか?

 冷戦下のアメリカを探る資料としても楽しめますが、日本でも戦時中のフィルムや新聞を見ると似たようなことはどこでもやっていることがわかります。政府による大衆の操作というのはこういうものだ、と冷静に今でこそ見つめられていますが、そうしたことは今も進行中だったりするのです。いや、アメリカだけじゃなくて日本でもね。日本でもこういう映画ができたら面白いんだろうけど著作権の問題とかで難しいんだろうねえ。NHKならできるかもしれないけど。。やらんやろうね。

監督・製作・編集:ケヴィン・ラファティ、ピアース・ラファティ、ジェーン・ローダー
 今日は実在の殺人者を描いた「モンスター」。久しぶりの洋画の紹介ですね。聖林を代表するとびきりの美人女優であるシャリーズ・セロンが体重を増やして眉毛を抜いて挑戦した意欲作です。彼女はこれでアカデミー主演女優賞、ゴールデン・グローブを始めとして海外の映画祭でも多くの賞を取りました。綺麗なブロンドに抜群のスタイルで「マイティ・ジョー」かなんかのインタビューを見た時にこれはまた綺麗な女優さんが出てきたもんやな、と感心したことを覚えています。彼女のフィルモグラフィを見てみて気がついたのは、彼女の出演映画ってほとんど見てなくて「セレブリティ」と「サイダーハウスルール」、あ、WOWOWで見たテレビ映画の「ハリウッド・コンフィデンシャル」ってのも見てるわ。まあ気になってた女優さんでしたが、彼女が出てるから見に行くかあ、という感じではなかったのです。

 正直、彼女が体重増やしてとか言うのにも、あんまり興味は覚えなかった。ニコール・キッドマンが「めぐり合う時間たち」で鼻に変なもの被せてブスを演じた(でもやっぱり綺麗だったのだ)ってのにも辟易しており、何で美人女優がわざわざ、ブスになってまで演じねばならんのだ。ブスでもいい演技をする女優、例えばメリル・ストリーブとか、メリル・ストリーブとかが可哀想やんけ、と思ったもんだが、この映画で彼女は本当に徹底して「30歳にしてシャブと荒れ果てた生活のためでボロボロになってしまい、(多分、口臭もどぶみたいな匂いがするのだろう)男にも相手にされない、惨めなおばはん」になっているのだ。シャワー浴びるシーンでもぶよぶよでかさかさの肌を披露してるしね。今までセクシーでゴージャスなブロンド女性がウリだった彼女がよくここまで思い切ったもんです。いや恐れ入りました。

 というのも彼女は南アフリカ出身で俗に言う「ホワイトトラッシュ」ではないのですが、父親がアルコール依存症だったそうです。彼女が15歳の時に父親が娘に向かって銃を乱射。殺されるとおもった母親が父親を射殺。母親は正当防衛で罪にならなかったようですが、彼女の心には深く残った事件だったようです。そうした思いがモンスターと恐れられたアイリーン・ウォーノスに思い入れになったのかもしれません。

 1986年のフロリダ。一人の女性がバーに入ってきた。肌はかさかさで髪はボロボロ。まだ若そうだが、女としての魅力は既になかった。彼女の名前はアイリーン・ウォーノス(シャリーズ・セロン)。貧しい家に生まれて不幸な生い立ちに育った彼女はヒッチハイクしながら体を売る、最低ランクの娼婦だった。強盗や偽造などで服役までしてきた彼女はまともな社会には相手にされず、男にも相手にされなくなっていた。人生に絶望した彼女は”仕事”で得た最後の金で酒を飲もうと店に入ってきたのだ。しかし、そこで彼女は”希望”をつかむのだ。

 アイリーンに一人の女性が声をかけてきた。同性愛者であるために故郷からつまはじきにされて孤独だったセルビー(クリスティーナ・リッチ)だった。彼女はアイリーンの全てを受け入れたのだ。今まで人に受け入れられたことがなかったアイリーンは彼女をいとおしく思う。金を手に入れたアイリーンは「1週間だけでいいんだ。お金は全部私が稼ぐ。もし帰りたくなったら帰りのバス代は私が出す」とセルビーを説得して二人は隣町のモーテルで暮らし始める。

 最初は幸せだった。しかし金が少なくなるに連れて、セルビーは「私の面倒を見て」と叫び始める。娼婦を二度とやらない、と誓ったアイリーンはカタギの仕事に就こうと就職活動を始める。しかし。。前科持ちの娼婦に世の中は冷たかった。職安で「工場勤務がいいところね」と冷たく職員にあしらわれた彼女はキレてしまう。「どうして娼婦をやらないのよ!」と叫ぶセルビーに彼女は打ち明けた。二人で暮らすためにいつものようにヒッチハイクで売春をしていたが、暴力的な客にひどい目に合わされて抵抗しているうちに殺してしまった。今、生活をしている金はその時の金だ。私はそれから怖くて娼婦ができなくなった、と。しかしセルビーはそれでも彼女に娼婦をして金を稼いでくれることを望んだ。アイリーンのなすべきことは一つ。ヒッチハイク殺人で金を奪うことだけだった。。

 シャリーズ・セロンの演技が素晴らしい。口を開けば汚い言葉しか吐かないビッチ女を見事に演じている。社会に無視されて生きてきた女性が最後につかんだ、生きる意欲。それを離そうとしない物凄い気迫と執念、そして悲しみがスクリーンからにじみ出ている。あ、あと見逃しがちだけど、からみの部分でおっぱいも見せてるぞ。ちゃんと見とけよ。

 セルビー(彼女のモデルとなったのはティリア・ムーア。アイリーンは実名になったが、ティリアは許可が下りなかったらしい)を演じたクリスティーナ・リッチも大変よかった。実際のティリアは肥満でブサイクだったらしいが、この映画での彼女は大変愛らしい。もう24歳にもなるんだが、少女のようにひ弱い女性を演じている。しかし決していい女性ではなくて小悪魔のように見えるのだ。ひ弱い女性の面と小悪魔の面をうまく出している。

 彼女にとって殺すことは正当化できるものであっても殺される側になってはたまったもんではない。確かに売春するような男はビッチかもしれないが、殺された男のために涙を流す者もいるのだ。ともすれば、犯罪者を一人称で描いた映画は犯罪者を正当化する映画が多い中、本作は彼女を哀れであるが悲劇の女としては描いていない。ただ一人の女性の生き様としてアイリーンを描いているのだ。彼女の生い立ちは描かずに断片的な情報で彼女の境遇を語っている。そこがやや、わかりにくいのが欠点か。

 監督はこれがデビューとなる、パティ・ジェンキンス。女性です。彼女はアイリーンの子供時代の親友にコンタクトを取り、死刑判決が決まっていた彼女に手紙を送ります。パティの思いを知ったアイリーンは処刑直前に今まで獄中より書いた手紙を読む許可を与えました。2002年10月9日。彼女は「神と共に戻ってくる」という言葉を残して処刑されました。

参考
http://profiler.hp.infoseek.co.jp/files.htm

※彼女の事件を題材にしたテレビドラマは92年にも作られていますし、彼女をモデルにしたリドリー・スコットの「テルマ&ルイーズ」もありますので映画化は始めてではありません。11月には「シリアル・キラー アイリーン『モンスター』と呼ばれた女」というDVDも発売されます。
 今日は世間を沸騰させ続けてる「華氏911」。初日にガーデン梅田にて満席(立ち見もいた)で見ました。監督は皆様ご存知のマイケル・ムーア。映画の内容もさることながら、ディズニーが配給を止めさせようとしたり、カンヌでパルムドールを取っちゃうなど公開前からもう評判はうなぎのぼり。ふたを開けてみればアメリカでも大ヒットで日本でも公開初日から超満員長蛇の列。京都の京極弥生座、ここは閑古鳥が巣作って卵暖めてる劇場なんだがここも連日満員で閑古鳥は卵をおいてどこかにいっちまった。前作「ボーリング・フォー・コロンバイン」も話題になったけどここまでじゃなかった。

 8月14日。先行上映と銘打って恵比寿ガーデンが二館体制で上映したが、14、15日両日ともに2時半の時点で整理券の配布終了。整理券配布時には300人の行列があったと言う。世間の盛り上がりは911には幾分か足りないが「華氏814」並みの沸騰であったのだ。

 重政隆文氏が「映画の本の本」で中野翠の言葉を紹介している。対象は「学校」と「シンドラーのリスト」がアカデミー賞を取った(「学校」は日本アカデミーね)ことに関するものなのだが、「華氏911」にもぴったり当てはまるので引用しましょう。
 
こういう作品が称賛される状況って、私にはあんまりいいこととは思えなくて。映画界のある種の衰弱を象徴しているような気がして。
 こういう作品というのは、一口で言うと「映画好きの人間の口を重くさせ、逆に映画はあまり好きではないが社会問題には興味があるという人間の口を滑らかにしてしまう−そういうタイプの映画」という意味である(「犬がころんだ」93ページより)

 ブログを見渡しても明らかであるが、「華氏911」に関しては普段全く映画について触れない人がいっぱい感想を書いている。それに比べて従来の映画好きってのはどこか、口が重い。映画というものは複雑で芸術と娯楽が入り混じったもので、はっきりどちらとは判別しにくい。他の芸能もやはり大なり小なり入り混じったもんなんだけど映画の場合は芸術というのには金がかかりすぎるし、娯楽というのには収益率が低過ぎて、より難しい。

 だからいろんな映画作品ってのがあって映画好きってのは芸術面と娯楽面を見て評価を下すわけです。しかしこの「華氏911」ってのは、ヒトラーや大日本帝国が作った映画よりも、純生なプロパガンダ映画でしかも時代と添い寝した作品です。映画作品としての評価がしにくい。ドキュメンタリーとしての編集の面白さ、組み立てには見るところはあるけど、その主義主張から切り離しての評価は無理である。つまり、芸術の側面がすっぽり抜けてるのだ。だから映画ファンは戸惑って、奥歯に物が挟まったような言い方しかできないのだ。従来の”普段全く映画について触れない”ブログとはすれ違いが起こるのだ。彼らは映画の感想を書きたいんじゃなくて、”社会問題”を論じたいんだから。

 はっきり言えば「華氏911」は森達也の言うようにこの映画がやったことは本来ならメディアがやるべきことをアメリカのメディアがだらしないから、映画でやっちゃったわけである。マイケル・ムーアはそれを意識的にやってる。だからアカデミーを蹴ってまで大統領選までの間にテレビ放映することを決めちゃったのだ。ムーアの観客対象自体が映画ファンを対象にしていない。 

 私はこの手の映画は嫌いじゃないし、ムーアの本も読んでるし、彼の作った映画は見てるし、(感想にも「ロジャー&ミー」と「ボーリング・フォー・コロンバイン」を挙げている)アメリカ大統領選にもすごく興味も持っている。実は先日も見て来たんだけど、劇場を出る時にはやはり「ブッシュ、討つべし!」と思いますわね。でもね、こんな意見もあるんですよ。

http://www.shakaihakun.com/data/vol032/main01.html

そもそもこの映画はアメリカ大統領選に向けて作られたもので選挙人登録もできない私達には何の関係もありません。だって私達がアシュクロフト、ラムズフェルドは地獄の火で焼かれろ!と叫んでも、中国や韓国で小泉の人形燃やしてる下品で意味のない行為と同じことです。

 町山智浩氏のブログにムーアのインタビューが載っていますが、その中でムーアは外国の記者の「アメリカ以外の国の人々が、ブッシュ打倒のために何かできることはありませんか?」という質問に対して「ありません」と断定したあとに「これは僕らの問題だ。アメリカ人が自分の力で解決しなければならない」と続けています。アメリカってのはヤマタノオロチの化け物でブッシュという首もあれば、KKKという首もあれば、マイケル・ムーアって首もある。アメリカの敵は結局、アメリカなのだ。この国はそうやって大きくなってきた。傲慢な野郎達なんだよ、全く。我らは大統領選を見守る、よき観客であればいいのだ。言い換えるとそれしかできない。

 ではこの映画から”アメリカ以外の国の人々”は何を学ぶのか?私はやはり思想云々よりもそのムーアの姿勢からだと思う。彼が始めて撮った「ロジャー&ミー」は自分の故郷からGMが撤退するという状況を受けて自分のできることは何か?ということを悩みながら撮った作品です。彼の姿勢は有名になった今も変わっておらず、困難な状況において自分ができることを考えて「華氏911」を撮っています。我々が家族に対して、隣人に対して、地域に対して、国に対してできることは何か。そうしたムーアの生真面目さに学ぶところは多い。それが私の考える”「華氏911」の正しい見方”である。

監督、製作、脚本:マイケル・ムーア 製作:キャスリーン・グリン、ジム・チャルネッキ 編集:クリストファー・スワード、T・ウッディ・リッチマン 撮影:マイク・デジャレ
出演:ブリトニー・スピアーズ、マイケル・ムーア、アル・ゴア、ブッシュスタッフ(パウエル、ライス、ラムズフェルド、アシュクロフト、チェイニー、ウォルフォウィッツ他)オサマ・ビン・ラディン、サダム・フセイン、バンダン・ブッシュ、シニアウ・ブッシュ、ジェフ・ブッシュ、ジョージ・W・ブッシュ、トニー・ブレア、モロッコの猿、パートで海岸線を守る警官などなど多数

参考
町山智浩氏のブログ
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/
ムーアのインタビュー(7月19日)
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040719
 今日はタイ発のアクション映画「マッハ!!!!!」。「一、CGは使いません 二、ワイヤーは使いません・・・」のド派手な予告編に心を動かされて行って来たんですが、これ、本当にすごいわ。

 アクション映画はニガテなんで、この映画がアクション映画としてどう素晴らしいのかはよくわからない。が、アクション映画ニガテの私でもこれだけは言える。ぜひ、これはスクリーンで見て欲しい映画だ。だって、エルボーがまともに後頭部に入ってる映像なんて他じゃみられねえや。寸止めなんかじゃない、本当にボッコーンと当たってるのだ。

 タイののどかな村で大事件が起こった。何者かが村の守護仏”オンパク”像の首を切り取って持ち去ってしまったのだ。村民の全てが嘆き悲しんだ。村人たちはムエタイの達人であるテイン(トニー・ジャー)に”オンパク”像の首を奪還してくれるように頼む。盗んだ男はバンコク裏社会を仕切るコム・タン(スチャオ・ボンウィライ)の部下だった。村人の期待と村人がこつこつ貯めたお金を背負い、テインはバンコクに旅立つ。

 バンコクについたテインは幼馴染のジョージ(ペットターイ・ウォンカムラオ)に協力を依頼する。が、ジョージはイカサマが得意のカスみたいな男になりさがっており、隙を見てテインの金を持って逃げてしまう。怒ったテインはジョージを追いかけるが、彼の金は既にコム・タンの闇格闘技場の賭博に賭けられてしまっていた。村人から預かったお金を取り戻す為に、闇格闘技場のリングに上がるテイン。一撃でチャンピオンを制圧するテインを見たジョージは彼を利用しようと考えるが。。

 主人公はスタントマン出身のトニー・ジャー。こいつが走って闘ってともう大活躍なのだ。一番びびったのは、下半身が炎に巻かれながら闘うシーン。エンドロールで撮影風景を流していたが、何回か分けて撮っているようだが本当に足を燃やしている。マジに体張ってる。格闘シーンも凄かったが序盤の町での追いかけっこにも恐れ行った。時間にして20分くらいだろうが、手に汗を握らせてくれる。俺が好きなトンファで闘うシーンもある。もうちょっと長かったら嬉しかったんだが。

 それから、敵役の覚悟も相当なもんだ。ジャンピングエルボーを頭に決められたり、顔面にモロに蹴りが入ってる。ギャラをいくらもらってるか、しらんが素面ではできねえ。

 演出もなかなか凝っている。「筋肉番付」みたいに決定的なシーンをカメラの角度を変えて何種類か見せてくれる。それもそんなにしつこくなく、テンポを落とすことなく、スピーディーに見せてくれるのだ。監督はミュージック・クリップ界出身で、音楽の使い方とアクションの見せ方はとにかくうまい。トニー・ジャーの体技ばかりが注目されるが、この映画監督もたいしたもんだ。

 アクション部分はトニー・ジャーに担当させてドラマ部分はもっぱら、ジョージ役のペットターイ・ウォンカムラオが担当。この人はコメディアン、俳優、司会、映画監督とマルチな才能を発揮する、タイのスーパースター。顔を見ると桂枝雀か左とん平にしか見えないのだが、タイのビートたけし(パンフ参照)らしい。こいつが演じるジョージってのはとんでもないロクデナシなんだが、テインに心を動かされていく。ほとんどストーリーはないとか言われているがラストのシーンで俺は少し感動したぞ。悪役の叔父様は顔がなかなか凶悪で機械を首に当てながら(ラストは当てずに普通に喋ってたが)機会音で喋るシーンがなかなかセクシー。これで女の子がもう少し可愛かったらなあ。。タイでは美人なのかもしれんが、藪にしか見えん。

 限りなく、本当のものを見せるというエクスプロイーション(見世物)的な活動屋魂が嬉しい。映画の基本ってのは誰も見たことねえ、すげえものを見せるってとこにありますしね。トニー・ジャーという逸材と監督のセンスがうまく重なった、一品と言えるでしょう。え?「マッスルヒート」と比べてどうかって?・・・忘れたれよ。。その映画。

予告編、おまけも楽しい遊び心満点の公式サイト。ここでこの映画の凄さの片鱗を知ろう。→http://www.mach-movie.jp/
 今日紹介するのは韓国映画の「子猫をお願い」。一部の映画ファンを熱狂させた「ほえる犬は噛まない」のペ・ドゥナちゃんが主演しています。

 田舎の女子商業高校を卒業して一年。仲良し5人組の女の子たちはそれぞれの道を歩んでいた。ソウルで働くヘジュ、デザインを勉強しているジヨン、今は家業の手伝いをしているテヒ、中国系の双子のピリュとオンジョである。彼女たちはテヒの呼びかけで時々、故郷で出会っている。

 ヘジュは高校卒業後、ソウルの証券会社に就職をした。愛嬌のある彼女は職場でも好かれており、彼女の生活は順調であった。視力回復手術や整形手術にもチャレンジし、思うように生きていた。そんな彼女とぶつかることが多いのがジヨンだった。彼女は早くに両親をなくし、つぶれそうなバラックに祖父母と住んでいた。彼女はデザイン関係の仕事に就きたかったが、簡単なお手伝いぐらいの職にしかつけなかった。ピリョとオンジュは地元のチャイナタウンでアクセサリーの露店を開いて生計を立てている。テヒは家業の手伝いをしながら、自分のやりたいことを探している。小児まひの青年詩人のお手伝いもしている。彼の口述する詩をタイプライターで打ち出していくのだ。家族の中で一人無職という彼女は受験中の弟からも軽んじられ、ワンマンな父親ともうまくいっていない。しかし「家族とは合わないというだけで家を出るのは子どものやること」と彼女には家を出る気はなかった。

 ある日、ヘジュの誕生日会が行われた。それぞれに誕生日プレゼントを用意していたがジヨンにはお金がない。困ったジヨンは自分が可愛がっていた子猫をプレゼントする。一旦、受け取ったヘジュだったが、ジヨンを呼び出して子猫を突っ返してしまう。。

 愛らしい題名とは裏腹になかなか考えさせてくれる映画でした。韓国と日本の、男と女の差はありますが、割りと身につまされる作品でした。自分の中でも社会に出ての一年はものすごくしんどかったですもん。学生時代にどれだけ戻りたいと思ったか。私も大学時代の友人5人(双子はいませんが)と3ヶ月に一回ぐらいの割合で会ったりしています。この不景気で、働いている友人もいれば、無職の友人もいます。ヘジュとジヨンの関係ではありませんが、やはりそこにはギクシャクしたものも生まれています。私自身も無職だったこともありますしね。現実に向き合うとどうしてもそこには価値観の相違があって、昔の学生時代のようにはいかない。これは仕方ないことだけど、やはり一抹の寂しさはある。

 ペ・ドゥナが演じるのはテヒ。皆がそれなりに自立している中で彼女一人は取り残された形になっている。自分のやりたいことが決まらないのだ。数年前に見た「ビューティフルガールズ」って言う映画では28歳の青年達が「青春の終わり」を実感するという映画だったが、この映画では20歳かそこらの女の子に「青春の終わり」を向き合わせる。この映画を撮ったのはこれが長編デビューとなるチョン・ジェウン(脚本も書いた)で女性の監督さんなんだが、現実をかなりシビアに見ていると思う。それはあの何もそこまで。。と思うほど意外なラストにも出ている。空港に立つ二人の姿は「卒業」のラストにもだぶった。

 テヒがタイプライターで打ち出す詩、友達に送る携帯のメールなどが字幕で画面に浮かぶという工夫がなかなか面白い。台詞よりも文字で書く方が思いが正直に出ることもある。そうしたところをうまく出していると思う。映画のテンポもよく、コミカルなシーンも結構あるんで結構楽しんで見てられる。ジヨンの家を訪ねたテヒがおばあさんに無理やり蒸し餃子を何個も食べさせられるシーンはクスクス笑ってしまう。

 韓国映画に興味ない人でも十分に楽しめる作品だと思います。女性客が多いでしょうね。ペ・ドゥナファンは当然のごとく、必見の作品です。関西では今週末からシネフェスタ動物園前で公開されます。
 今日、紹介するのはマイケル・ムーアのデビュー作の「ロジャー&ミー」。マイケル・ムーアも凄いですね。カンヌ国際映画祭のパルムドールまで撮っちゃうだもん。正直、今一番期待してる作品です。日本では夏頃に公開になるみたい。えっと話題がそれました。本作品は1989年の作品です。彼の故郷であるフリントでの工場閉鎖問題を題材にしたドキュメンタリーです。

 彼の育ったフリントは世界最大級の車メーカーであるGMの発祥の地でもあり、製造拠点でもある工場の町でした。所謂、GMの企業城下町で市民の多くはGMの工場で働いていました。ムーアの父親もその一人でした。いや父親だけでなく、親戚も友人も兄弟も自分以外は全員、GMの会社に勤めていたのです。子どもの頃から、政治に興味のあったムーアは大学中退後にフリントで「フリント・ボイス」というリベラル系の雑誌の編集人としてジャーナリストとしての道を歩み始めます。雑誌は成功し、ムーアはやがてサンフランシスコの編集部に移籍します。フリントから出て有名になりたかった彼でしたが、政治的な題材を多く主張する彼と会社は折り合うことはなかった。彼は一年ほどでフリントに舞い戻ってきます。しかし彼が帰ってきたフリントでは大変なことが起こっていたのです。

 GMの会長ロジャー・スミスは合理化の一貫としてフリントの工場の閉鎖を決定したのです。フリントの人口は15万人。そのうち、3万人が失業することになったのです。世界最大の企業がどうしてそんな方針を発表したのか。もうつぶれるという会社ではないのに。生産拠点を人件費の安い外国に移すことが目的だったのだ。そしてその浮いたお金は武器輸出産業の資金となったのだ。

 町は急激に衰えた。ムーアはスミスにインタビューを申し込もうとGM本社に乗り込むが門前払いされてしまう。直接会って、話がしたいと考えたムーアはありとあらゆる方法でスミスを追いかけるが、スミスはインタビューを拒否して逃げてしまう。。。

 私の住んでいる町は田舎で大企業の工場が集結している、典型的な企業城下町です。小学生の頃、私以外の近所の子どもは皆、工場が作っていた幼稚園の出身でいずれも社員の子どもでした。もし、この工場がごそっと移転してしまったら町はどうなるんだろうかとは思います。現に隣町ではその町を代表する工場が完全に移転してとてつもなく大きい、何も無い土地が町の一部分を占めています。再開発の計画は立っていますがこの状況だし、どう転ぶかわかんねえ。

 日本の例で言うと炭鉱の閉鎖による町の衰退ということになるのでしょう。昭和30年代まで全盛を極めた石炭産業が衰退して炭鉱に働く者全てが解雇された。がそれにしても産業構造の変化ということでまだ納得も行く。それに比べ、経営者の一存で滅亡を決められたフリントの例は少々惨い。GMのスポークスマンのトム・ケイは「アメリカは資本主義の国だ」と胸をはって社長の決断を誉める。確かにそうだろう。その金で武器輸出産業に出したとしても経営の観点から見れば「儲かるところに金を入れて何が悪い」ということになる。が思うのは、企業というものはそんなものなのか?GMという会社はアメリカを代表する会社であり、国の歴史と共に歩んできた会社である。その会社に社会的責任というものはないのだろうか?フリントはGMの発祥の地であり、フリントの住人は何よりもGMを愛してきた。そうした思いも歴史も全て棄ててしまう。大企業の会長というのはそんなつまらんオッサンなのか?
「フリントは現在、ひどい状態です。家賃が返せずに次々と住民は家を明渡しています。」
「それがどうした。そんなことは大家に言え」
「あなたの会社の社員ですよ!?」
「関係ないね」
・・・確かにつまらんオッサンであった。

 ムーアが「子どもの時にGMの社員は三人だと思ってた」うちの一人、パット・ブーンの言い方も惨い。「アムウェイにでも転職すればいいじゃないか」日本でも数年前に、失業者に対して「ネット産業に逝け」だの「ベンチャーを起こせ」とか無責任なことをほざく経済評論家がたくさんおった。(いやまだいる。大臣までやってる)こんなセリフは所詮、人事(ひとごと)だから言えるのか、世の中を知らん奴(就活中の学生)だからほざけるセリフなんだろう。自らが経済でも動かしてるつもりなんでしょう。アホです。確かに資本主義であるのだから、全ての人が雇用されるのは無理であろう。が、経営者には自らの決断で多くの人がクビを吊ることになるという自覚は必要だろう。

 家賃を払えない失業者を追い出す保安官代理。彼は昔、工員であったが、仕事に魅力が感じられずに辞めてしまった。道端でウサギを売る女性。彼女は大学に通うお金を稼ぐ為に”ペット用の”ウサギと”食肉用の”ウサギを売っている。”食肉用の”ウサギは彼女がさばく。フリントはこれから観光の町になるんだ、と威勢良く語る市の幹部。(観光産業は大失敗に終わり、町には巨大な借金と廃墟が残った。)皆、それぞれ懸命に生きている。その姿をムーアは淡々と撮り続ける。ムーアは私財を投じ、このドキュメンタリーを完成させて大ヒットを飛ばします。「ボーリング・フォー・コロンバイン」までこなれてないし、見せ場も少ない映画ですがテンポよくまとめているので飽きることなく、見てられました。

1989年作品ワーナー・ブラザース映画配給
監督、製作、脚本:マイケル・ムーア
撮影:クリストファー・ビーヴァー、ジョン・プルーサック、ケヴィン・ラファーティ、ブルース・シェーマー
 私が通っておりました学校というのが、ミッション系の学校でしてその頃は毎朝、礼拝というものをやっておりました。賛美歌を歌い、聖書を読んで、先生の話を聞く、と面倒くさいもんでしたが、今思えば、あんまり悪くなかった。この礼拝を通じて、キリスト教に興味を持ちまして、半年程度ですが先生の紹介で教会に通っておったこともあります。現在は教会に通っておりませんし、宗教には全く無縁の生活を送っております。

 宗教、特にキリスト教には今でも興味はありますが、入信とか洗礼は受けようと現時点では考えていません。頭で宗教を理解して入信するのは危険だし、また流されるように入るのもどうかと思う。今日見てきた「パッション」は新約聖書のキリストの受難を映画化した作品です。メル・ギブソンが27億円の私財を投じて自らが監督、製作、脚本を担当した(このように一人で何でも担当している映画は大体、内容が惨くなる)自主映画なれど、アメリカでは3億ドルの興行収入をあげる大ヒットになりました。その残酷描写が話題になってアメリカでショック死した奴がいるとか主演男優が雷に打たれたけど死ななかったとか、メルの親父が「ユダ公は嘘ばかりつく。ガス室なんか(以下ry」とか言ったとかのエピソードばかり、先行しております。私はものすごい痛がりでこの手のボッコボコにする映画は心底苦手なんですが、ガクガクブルブル震えながら見に行ってきました。

 映画はイエスが処刑される直前から始まります。エルサレム入りしたイエスがユダの裏切りで逮捕されて磔になるまでを描いたもので2時間もありますが、その間、ずっとイエスはボコられています。このボコボコにするシーンが衝撃で話題をよんでいるのだが、私には正直、これがちっとも驚かなかった。痛々しいとは思うが、あまりにもしつこく続くので、なんか慣れてしまうのだ。鞭打ちで辞めときゃいいのに、イガイガのついた棒でぶん殴ったりするシーンでは恐怖を通り越して、もはやギャグだ。十字架を背負ってからも、少しよろけただけでボコボコにされてちっとも行進が進まない。たまたま歩いていた、嫁さんを連れた田舎者に無理やり背負わせるんだが、相変わらずイエスをボコボコにして遊んでるので田舎者が「おまえら、エエ加減にせえや」と怒るシーンなんかは笑うところかと思ったぞ。

 主演のジム・カヴィーゼルも肩を脱臼したり、低温症になったりと大変だったらしいが、「仁義なき戦い 広島死闘編」の拓ボンに比べたら全然たいしたことないのだ。拓ボンは縄かけられて海中を引きずりまわされて、島で銃の試し撃ちの的になって死ぬ。(もちろん、スタントなんかありゃしねえ)「北陸代理戦争」で小林稔持は首から下を雪に埋められて、ジープで頭を飛ばされる。70年代東映の体を張った残虐シーンに比べると屁でもないのだ、こんなの。俺からしたら、「プライベートライアン」の方がなんぼか残酷だぞ。単に残虐シーンだけでこの映画はただの大味な、よくある聖林映画なのだ。メル・ギブソンの撮ったり、出たりする映画なんざあ、そんなもんである。リアリティがまるでないので、何の思い入れも持てないのだ。それに比べて、平凡であるがイエスと母マリアの回想シーンは少し、ホロリとさせられる。オーソドックスに撮る方がいい映画が作れたと思う。ただの大人しい文芸作品になっただろうけど。

 日本にはキリスト教徒ってのはカトリックとプロテスタントを足しても人口の1%にも満たない。キリストってのを漢字で書くと”基督”と書く。音読みをすると”キトク”である。高校の先生は信者の少なさから自虐的に”日本のキリスト教はキトク状態である”と言ってたな。それに比べて、アメリカはキリスト教の国(到底、神を信じてるとは思えんが)で普通のアメリカ人は教会に通っている。イエス・キリストは単に歴史上の人物ではなくて、最も身近な友人なのだ。日本人には共通のそういう人物はいないのだが、衝撃度で言うと「風流夢譚」で皇族が処刑されるようなもんなのだ。メルの狙いも実はそこにあった、と思う。つまり、確信犯だったのだ。

 色々書いてきたが、キリスト教に興味のある人にはぜひオススメしたい。確かに大味な映画なんだが、ディテールに凝っているので割りと楽しめる。ピラト、ヘロデ王、キレネ人のシモン(十字架を背負わされる、気の毒な人)、一緒に磔にされた犯罪者、などもしっかり描かれている。ローマ帝国から派遣されていた長官のピラトをうだつのあがらない官僚に描いてしまったのはなかなか面白い。ユダヤは当時、ローマ帝国の支配下にあったが、決してローマ人の言いなりになっていたわけではなかったのだ。「あんたがイエスを殺さないのなら、叛乱起こすぞ」と祭司が脅すシーンもあった。なるほど、厭な奴らだ。おい

 ただ、イエスがエルサレムに入場するシーンを描いてほしかった。回想シーンでそれらしい部分もあったんだが、イエスは歓喜の声でエルサレムに迎えられたのだ。皆はイエスを”救世主”だと思ったのだ。。だが。。何故、イエスが民衆の怒号の声の中で死なねばならなかったのか。映画ではサタンの存在をほのめかしたり、祭司が人々を扇動したからのように見せているが、はっきり言って奥歯にものがはさまった感じが否めない。そこまで描ききったら名実共に名映画になったと思うけど。あ、最後に映画秘宝2004年6月号の辛酸なめ子と金原ひとみの「パッション」対談は爆笑もんなんで、これは読んどきましょう。それちキリスト教関係の本としては遠藤周作の「イエスの生涯」「キリストの誕生」をお薦めしときます。
☆5月5日。連休最後の日。11時過ぎより大学時代の友人と近鉄プラッツにて、近況報告。友人はお父さんが入院のとのことで色々と苦労しているらしい。兄弟もいるんだから、自分一人で抱え込まないように忠告しておく。家族の介護の問題は他人がうかつに口をはさめる問題ではないが先日の件の友人が彼に「何を差し置いてもお父さんに付き添うべき」と誰でも言えるようなことでプレッシャーをかけていたので、あえて別の考え方も紹介しておいた。美風論ではないが、好き勝手に言うもんである。
☆お昼から同期の友人と結成した「えりまき会」(4人の一文字づつを取ってつけた。本当は違う名前)で遊ぶ。伏見から宇治に向かい、ひっそりと遊んできた。月イチでこんなことをやってるのがなかなか楽しい。今日で一年である。よく続いたもんです。

本日は3月に見た映画の短評から5本。
★★★★★・・・仕事休んでもメシ二食抜いても映画館で見る価値あり。
★★★★・・・・列に並んでも見る作品。ぜひスクリーンで見てください。
★★★・・・・・映画館で見ても損はなし
★★・・・・・・別にWOWWOWでもいいか。
★・・・・・・・金払うのがあほらしゅうなる。

ペイチェック 消された記憶 3/16 TOHOシネマズ高槻 スクリーン5
★★★★
→映画の手品師ジョン・ウーの最新作。ケツアゴ(ベン・アフレック)が発明家という設定からして「真面目に作る気ないやろ」感がたっぷりあるんだが、相変わらずめちゃくちゃな科学理論(無頓着なんか意識的にやってるんか、判別つかん)を駆使し、遊んでくれている。その遊びを楽しめる人にはオモロイんだが、真面目に見に行った人にはなんじゃあこれ、ということになり、結局はあんまりヒットしなかった。俺は謎解きの部分を含めて、しっかり楽しんでしまった。特にオチがいい。ユマ・サーマンはいつ刀を抜くかとドキドキしてたが、最後まで抜かなかった。(当たり前)後味残さぬ軽い終わり方になっているのは主演のケツアゴの力が大きいと思う。

ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 3/16 TOHOシネマズ高槻 スクリーン7
★★★★★★★★★★
→遂にこのシリーズも堂々の完結。感想を述べるとただ一言である。「素晴らしい映画をありがとう」である。ピータージャクソンはこの映画に七年間もかかりきりだったらしい。本当にありがとうと言いたい。2時間以上の映画で飽きが来なかったなんて初めてです。そう、このシリーズの主題はホビット達の成長だったのですね。サムだけでなく、ピピンもメリーも成長したのだ。一番頑張ったのはフロドでしたが。最後までその主題をぶれることなく、しっかり描いてくれています。現在を生きるものでこの映画を見忘れたら、子孫に笑われますよ。いや、はっきりと言い切ろう。リアルタイムで見ることが現在を生きる我々の義務なのである、と。できれば、DVDも出さずに「祇園祭」みたいに劇場でしか見れない映画にして欲しいんだけどそれじゃ、制作費は回収できないやろうね。

いつかA列車(トレイン)に乗って 3/17 大宮東映
★★
→津川雅彦が自分の会社、コネを使って作った映画。内田吐夢監督の「たそがれ酒場」(1955 新東宝)のリメイク。酒場を舞台にした群像劇で言わば、「グランド・ホテル形式」の映画。主人公は津川雅彦演じる年老いた客である。ストーリーも平凡だし、役者も一部を除いて本業でない人が多いので薄っぺらい映画になっている。が、流れるジャズは本物でそれだけでも劇場で見る価値あり。栗山千明が珍しく、普通の役で出演している。いつ、鎖鎌出すのかドキドキしてたのは私だけか。(そうです)

☆坂本龍馬 3/21 大津京町滋賀会館シネマホール
★★
→澤登翠さん演じる活弁映画。1928年という大変古い映画でもちろんサイレント映画。主演は阪東妻三郎で断片30分だけの上映。阪東妻三郎は割りとフィルムが残っているのだが剣戟が大変凄い。

☆鞍馬天狗 3/21 大津京町滋賀会館シネマホール
★★
→これも1928年のサイレント映画で活弁つきで見た。主演は鞍馬天狗といやあ、この人の嵐寛寿郎。カット回しがテンポよくて割と退屈しない。近藤勇演じる山本礼三郎がかっこいい。
▼実は4月は私にとっては大層しんどかった月であった。過去形で語れるのが大変嬉しい。肉体的にどうこうというわけでないが精神的に大変こたえた月だった。ストレスはたまると肉体に出てくる。肩が凝って仕方なかった。風邪もひいていたみたいで体もだるく、何をするのにも億劫であった。仕事上でもプライベートでも揉め事が続いて大変であったが、なんとか4月中に片付くことができた。皐月は少しはいいことあればいいが。。



何から何までつらい 昨日が終わった今日は 涙さえ風に散る さようならと

今日から明日へ向かう 列車に飛び乗りそして 誰にでも声かける こんにちわ

昨日は昨日さ 終わった日さ 明日は今日のために 始まる日さ

悲しい話はちぎり 窓から捨てたらいいさ すぐそこに待っている 幸せが待ってる




井上順の「昨日・今日・明日」は名曲だ!



今日はたまってた3月に見た映画の短評から。こまごまと書いていきます。



今日はこれから南座で花形歌舞伎。何気に歌舞伎はじめて。



星による評価はあくまでも目安。5つ星で評価しとります。
★★★★★・・・仕事休んでもメシ二食抜いても映画館で見る価値あり。
★★★★・・・・列に並んでも見る作品。ぜひスクリーンで見てください。
★★★・・・・・映画館で見ても損はなし
★★・・・・・・別にWOWWOWでもいいか。
★・・・・・・・金払うのがあほらしゅうなる。





ツインズ・エフェクト 3/3 TOHOシネマズ高槻 スクリーン6

★★★

→香港でめちゃくちゃ大ヒットしたアイドル映画。アイドルが飛んだり跳ねたりする、たわいもないアクション映画なんだが、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズのドニー・イェンが共同監督として参加していることから有名になった。実は香港映画界は疎いんで、どれだけ凄いことなんかようわからん。この「ツインズ」ってのは香港では大人気のアイドルなんだそうだが、そんなに可愛いか?と思ってしまった。ジリアン・チョンの方は西田尚美みたいで可愛いがシャーリーン・チョイはう〜んと言う感じ。新しくできたTOHOシネマズ高槻で見たのだが、お客さんは少なかった。ビデオでええですね。ジャッキー・チェンも出てるよ。



誘惑 3/6 シネ・ヌーヴォ

★★★★★

→中平康の初期作品。何気なく見に行った作品だが芦川いづみ、渡辺美佐子、轟夕起子、中原早苗と中平作品の常連が揃った佳作で非常に面白かった。昔の邦画なんかビデオで見れるんだからわざわざ見に行かんでいいのではないかとよく言われるんだが、ビデオになってない佳作もいっぱいありますしね。中平作品なんか、まさにそうでスクリーンでしか見られない作品もいっぱいある。現にこの作品は「ぴあシネマクラブ」にも収録されていない。こうした隠れた名作があるんでリバイバル上映通いは止められませんのです。



油断大敵 3/7 シネマ・ドゥ

★★★

→昨年の湯布院映画祭のクロージング作品。見たかったんだけど仕事の都合で最終日まで楽しめなかったんだよな。監督は「新・仁義なき戦い/謀殺」の脚本を書いた成島出。主演は役所広司と最近、仕事しすぎな柄本明。原作は泥棒刑事の回顧録で映画ではエピソードの一部を使って、そこに伏線として彼の娘の話を入れている。この二つをうまくからませてなかなか見れる作品になっている。役所広司ってのはやはり器用な役者だなと改めて感じ入った。



ルビー&カンタン 3/7 シネ・リーブル梅田シアター2

★★★★

→「メルシイ!人生」のフランシス・ヴェベールの最新作。フランスを代表するアクターのジェラール・ドパルデューとジャン・レノが主演のアホアホコメディ。空気がよめねえドパルデューと真面目くさった殺し屋のジャン・レノのかけあいがオモロイ。少々、アクが強いですが90分ほどの短い映画なんで笑っているうちに上映が終わり。二人のかけあいで見せる映画なんで字幕が大変重要になっていましたが、なかなか凝った字幕を演出してくれているので楽しめました。



イノセンス 3/11 TOHOシネマズ高槻 スクリーン3

★★

→それなりにかっこいい映像と音楽のよさで客というのは集まるもんやな、と思う。つまらんとは思わんが「攻殻機動隊」ファンでないとほとんどわからんではないか。最近、監督の個人的趣味がごり押しする映画が多いんだが流行ってるのか?こういうの?


 今日、紹介するのは「ほえる犬は噛まない」のボン・ジュノの最新作「殺人の追憶」。前作のブラックコメディとうって変わり、今作は実際に韓国で起こった連続殺人事件(華城連続殺人事件)を題材に取ったサスペンスです。前回でも少し触れましたが今作は韓国にて2003年度の興行収入のナンバー1を獲得する大ヒットになりました。主演は韓国を代表する俳優のソン・ガンホ。「JSA」「反則王」での好演が大変よかったです。今作でもメチャクチャな田舎刑事を気持ちよく演じています。

 1986年。軍事政権下の韓国。ある農村地帯の田舎町で若い女性の死体が発見された。手足を拘束され、頭部にガードルを被せられたまま、用水路に放置されていた。地元の刑事のパクは相棒のチョと共に捜査を開始するがまもなく、同様の手口による殺人事件が発生する。残っていた足跡をトラクターにつぶされるなどの不運もあり、何も手がかりがつかめなかった。パクは元看護婦のソリョンから被害にあった女性がベクという男にしつこくつきまとわれていたという情報を得る。ベクは顔に焼けどがあって、少し頭に障害があった。気の弱いベクを拷問して(傷がついたら問題なので靴に布を巻いての足蹴)嘘の証拠まででっちあげて、吐かせようとするがどうにもうまく行かない。殺人の手口はこと細かく話すのだが、それ以上のところになると話が混乱してわけがわからなくなってしまう。

 犯行現場を調査していたパクは怪しげな男にドロップキックをかまして、逮捕するがそれはソウルから派遣された刑事のソだった。ソは、手に障害のあるベクが人を紐で縛るのはムリだと異を唱えるがパクとチョはベクを現場検証に駆り出すが、大失敗に終わる。ベクは釈放されて、署長は解任されてしまう。

 新たに赴任した捜査課長は改めて現場検証を行い、少ない証拠と犯人の殺人パターンから犯人を割り出そうとする。「書類は嘘をつかない」と冷静に書類から犯人像を導き出そうとするソ刑事と「捜査の基本は足」と信じるバク、チョの間はうまく行かず、激しい口論が絶えることがなかった。二つの事件に共通するものは何か。また一人、女性が殺された。全ての事件の共通項はいずれも雨の日に赤い服を着た独身の女性が狙われていたことだった。課長は婦人警官のギオクに赤い服を着せておとり捜査を開始するが、その日に殺されたのは別の女性であった。証拠は何も無かった。女性には強姦されたあとがあったが、精液も陰毛も見つからなかった。バクは犯人は無毛症であると銭湯で捜査を始まるが徒労に終わる。(当たり前だ。)

 ギオクは事件当日にFM局で「憂鬱な手紙」という辛気臭い歌が流れていることを指摘する。ソはラジオ局にリクエスト葉書を探しに行くが、既に捨てられたあとだった。パクとチョは夜半に犯行現場で女性の下着で自涜にふける工員を逮捕する。が、これもただの変態で空振り。それでも強引に自白させようとするパクは反対するソと大喧嘩になる。その時、ちょうどラジオから「憂鬱な手紙」が流れ始めた。外は雨だった。犯行が起こるに違いないと課長は機動隊に出動を要請するが、機動隊は学生デモの鎮圧に出ていたのだった。果たして、またもや殺人事件が発生する。。。

 犯罪というものはその時代の一つの象徴で犯罪を語るということは、社会を語るということにつながる。監督のボン・ジュノはそのことをよくわかっているのだと思います。世間を騒がせた犯罪というのは、その時代の一つの縮図になります。この映画のモデルとなった殺人事件は80年代を最も騒がせた連続殺人事件でした。ソウルの片田舎で10人の女が同じような手口で次々に殺害された。韓国政府はのべ180万人の捜査官を事件に投入しましたが、犯人は結局見つかることが無かったのです。事件は長期化し、誤認逮捕も続出しました。社会はパニックになり、模倣犯も現れた。警察の強引な捜査方法に対するデモが起こった。そしてそれから15年。次々と事件が時効を迎える中でこの映画は公開されたのです。

 日本で言うと少し趣きは違いますが、グリコ森永事件のようなものだとわかりやすいでしょう。映画は犯人に重点をおかず、犯罪を捜査する刑事達を主人公に当時の社会を切り取っています。「自白しないと四肢が腐って死ぬ」と書かれた、何とも不気味な案山子やストッキングにさるぐつわを噛ませて殺すという手法なども全て実話です。

 犯罪を題材に取っているのに序盤は軽すぎるほどのかろやかなテンポで進みます。強引な捜査を続ける刑事たちもひでえ奴らなんですが、割と好感が持てます。新聞記事用に記念写真を撮るシーンが面白い。ここに次々と犯人に関する情報が挟み込まれていく。徐々にサスペンス調になってきて、それでいてテンポよくストーリーが進んでぐいぐいと引き込んでいく。クライマックスは犯人と思われる工員を追い詰めるシーン。このトンネルでのシーンが何とも美しく、思わずため息がもれてしまう。うっとりするほど、映画を撮るのに長けている。シーンの積み重ねでできている映画が多い昨今、脚本の流れで見せてくれる映画は少なくて、2時間10分という時間も全く、苦にはなりませんでした。最近、歯ごたえのある映画を見てねえなあと思う映画ファンにオススメです。
 今日は「ほえる犬は噛まない」。当サイトが初めて取り上げる韓国映画でございます。韓国映画ねえ、「シュリ」が大ヒットしてからよく上映されるようになりましたね。「スカートの風」によると韓国は映画を見る習慣がなかったそうで映画を積極的に見るようになったのは最近だそうです。昔、レンタルビデオでの韓国映画って言えばポルノだったですもん。今ではミニシアターに限らず、大手でもかかるようになって今や映画業界には欠かせません。「シュリ」「JSA」とかの国策映画に始まって、「クワイエット・ファミリー」とか「反則王」みたいな個性的な映画が出てきて、ホラー映画とかメロドラマとかに分野が広がってなんかもう凄いんですけど、私個人で言うと実はあんまり見ていない。というのもホラーもメロドラマも苦手なんです。

 「ほえる犬は噛まない」は2000年の東京国際映画祭で大絶賛されたものの、本国では大コケしたそうです。監督はこれがデビューになるボン・ジュノ。が、次に撮った作品が昨年に韓国で大ヒットした「殺人の追憶」でこの人の名前は一般に知られるようになります。日本でも一部で絶賛されて知る人ぞ知るという作品で正直、関西で公開は無理かと思っておったのですがシネフェスタ動物園前(あのフェスティバルゲートの映画館ですぞ)で「殺人の追憶」と共にロードショー。この週末に二本とも見てきました。まずは「ほえる犬は噛まない」の感想。韓国でも原題は何と「フランダースの犬」。日本では「ほえる犬はかまない」。うまくつけたもんだ。

 団地に住むユンジュはむかついていた。彼はある大学の万年非常勤講師でなかなか教授になれず、年上の妻の稼ぎで食っていた。教授になるのには学長に賄賂を贈らねばならない。そんな金あるわけないし、そんなことはしたくない。妻にはもうすぐ子どもが生まれる。妻との間には何か寒い風が吹いていた。団地では犬を飼ってはならないはずなのに、犬の鳴き声がうるさい。腹をたてた彼は家の前にいた犬をさらって地下室に閉じ込めてしまう。

 マンションの管理事務所に働くヒョンナムは毎日をつまらなく過ごしていた。先日、テレビで見た銀行強盗を撃退した女性行員。防犯ビデオに写っていたその雄姿は彼女を奮い立たせた。彼女のようになって、私も市民栄誉賞を取ってテレビに出たい。彼女はそんなことを考えていた。ある少女が管理事務所に愛犬を探してくれとチラシを持ってきた。正義感に火がついた彼女は仕事をサボってチラシを団地中に張りまくる。その犬はユンジュが閉じ込めてしまった犬であった。その犬は鳴かない。家に帰っても相変わらず、聞こえる犬の鳴き声に彼は”犬違い”に気づいて地下室に向かうがそこには犬鍋の用意に奔走する警備員のピュンがいた。

 マンションの屋上で友人とブラブラするヒョンナムは男が犬を屋上から投げ捨てるシーンを目撃してしまう。彼女は犯人を追いかけるが後一歩のところで取り逃がしてしまう。犬を盗まれたツバ吐き婆さんは愛犬の変わり果てた姿を見て、卒倒してしまう。

 妻に胡桃を割らされる、カイショなしのユンジュはさらに妻の愛犬を散歩させられていた。ところが何と犬を見失ってしまう。管理事務所に駆け込み、ヒョンナムと共に犬を探すが、見つからない。妻と大喧嘩したユンジュは妻の口からある秘密を聞かされる。一方、死んでしまったツバ吐き婆さんはヒョンナムにあるメモを残していた。。

 爆発的な笑いはありませんが笑いどころがたくさん用意されて、クスクス楽しく見れるコメディです。韓国では今でも犬肉の文化があって、路地裏にはいまだに犬猫のスープを売るような店があるそうです。その反面、町には動物病院があって愛犬家が金を犬にかけている。日本では犬を食う習慣がないから、顔をしかめる人もいるでしょうね。

 一番好きだったシーンはヒョンナムが切干大根が入った鍋をかかえて、犬の救出に向かうシーン。黄色いパーカーのフードをかぶって彼女が駆け出すと背後に黄色いレインコートを着た、大勢の人が紙吹雪を撒き散らす。もちろん、妄想なんだが彼女にとっては大冒険なのだ。パーカーのフードをきっちりかぶるところが愛らしい。ヒョンナムをやったのはベ・ドゥナという女の子。そんなに可愛く見えないのだが、笑うと田畑智子ちゃんみたいで可愛い。韓国では売れている女優さんらしい。

 犬を食う警備員、ツバ吐き婆さん、ヒョンナムの友人、酒を強要して何かを壁に投げつける学長、そしてボイラー金さん、と脇役も一筋縄では行かない曲者だらけでうまく使っている。映画のテンポがすごくいい。ボン・ジュノは元々漫画家になりたかったらしいが、脚本の流れできっちりと笑わせてくれるところは漫画的だと思う。ケーキに賄賂を仕込む際に箱に入らなくなったイチゴを食べるシーンなんかの演出はなかなか非凡。ってなわけでなかなかオススメな映画です。もうすぐDVDも出ます。
2月は10本鑑賞。東京行きとか日曜出勤とか色々ありすぎで全然映画行けへんかったです。3月も日曜出勤多いし、色々と忙しいので10本見れるだろうか。一ヶ月で10本しか見なかった月なんか一年以上ぶりだぞ、多分。

ニューオーリンズ・トライアル 2/7 京極東宝3
★★★
→陪審員制度をテーマにした硬派なドラマ。所謂、法廷ものなんだが法廷の外の話を中心においたのが工夫。ジーン・ハックマンとダスティ・ホフマンは昔、同居していたほどの仲良しだったらしいが、共演ははじめてとのこと。

美しい夏キリシマ 2/11 MOVIX京都シアター7
★★★★
→キネ旬一位と聞けば、ああそうだろうなと思うが普通にいい映画であんまり文句言うところないです。普通の少年が等身大に戦時を表現しているのが、実に自然でいい。この子は柄本明の息子さんらしいが、大きくなったらあんなんになっちゃうんでしょうか。石田えりのエロさがグッド。やはり釣りバカはこの人で行くべきだった。小田エリカの乳首が透けていたのは見ていた人達だけの秘密だ。多分、DVDでは修正されてるやろうし。

ドラッグストアガール 2/11 MOVIX京都シアター7
★★
→田中麗奈の魅力だけでも引っ張れる映画で俺には大変面白かったが、テレビでもいいかなと思わんでもない。それが興行収入の結果につながったんだろう。

コンフィデンス 2/14 三番街シネマ3?
★★★
→「スナッチ」みたいな雰囲気で俺は結構、こんなのは好き。エドワード・バーンズを久しぶりに見た。アンディ・ガルシア、ダスティ・ホフマンの使い方がうまい。気楽に楽しめる佳作。

嗤う伊右衛門 2/14  動物園前シネフェスタ4(Screen3)
★★
→世界の蜷川幸雄はこれを含めて3本でうち2本が四谷怪談。よっぽどの思い入れがあるんだと思う。面白くないこともなかったし、画面も大変美しいのだが、本職が映画監督でないためか、映画全体がシーンのつなぎ合わせで流れが全く出てこないのだ。だからどうしても退屈になるし、疲れてしまう。一つ一つのシーンの演出はうまいんだけどね。香川照之の芝居は本当にうまいね。この人見るだけでも金払う価値あるよ。

この世の外へ クラブ進駐軍 2/15 MOVIX京都シアター2
★★★
→ラスト10分がなかったら、星5つにしてもいい作品。阪本さんは映画撮るのがうまいので、職人に徹したらいいんだろうけど、なんか妙なヤマっ気出しちゃうのね。「顔」で誉められてからなんか変わってしまった。初期の作品の「どついたるねん」「王手」「トカレフ」なんかが好きだっただけに残念です。

ゼブラーマン 2/15 MOVIX京都シアター7
★★★★
→正直、ヒットするとは思わなかった。東映も公開期間の短さから見てヒットするなんて思ってなかったんでしょうね。直営で他の映画やってるぐらいですもんね。最近、しょうもない演技ばかりしていた渡部篤郎が実にかっこいい。あんな風にスーツを着こなしたいものだな。

ふくろう 2/21 シアター・イメージフォーラム
★★★★
→これは喜劇です。題材が深刻なので忘れがちですが、素直に楽しもうね。

グッバイ、レーニン 2/22 恵比寿ガーデンシネマ1
★★★★★
→「レボリューション6」とあわせて見ると面白さがある意味倍増。こうした裏面史に多くの人が共感するってのはいいな。

25時 2/23 恵比寿ガーデンシネマ2
★★★
→エドワード・ノートンはやはりかっこいいな。奴を見るだけでも値打ちがある。脇役がいい。フィリップ・ホフマン・シーモア、ブライアン・コックスはもちろんだが、バリーペッパーがすげえいい。アンナ・パキンも可愛い。役者だけでも十分、おなかいっぱいになれる映画。ストーリーはやや後半がもたついたが、まあ見てられます。
 今日は東京で見てきたドイツ映画の「グッバイ!レーニン」。ベルリン映画祭での最優秀賞受賞をかわぎりにドイツ国内でヒットをかっとばしてヨーロッパ中を巻き込む大ヒットになった映画です。昨年の東京国際映画祭でも公開されました。アカデミー外国語映画賞へはノミネートされなかったのですが、映画批評家よりこの映画がどうしてノミネートされなかったかという疑問の声があがりました。

 昨年、「レボリューション6」「ビタースウィート」というドイツ映画が公開されて、ドイツ映画には注目していたのですが、この作品も大変面白かった。前から気になってた作品でこのたびの東京行きはこの映画を見るというのも一つの目的でした。(関西では3月末より公開なもんで。)封切の21日は全ての回が満席で二日目の22日の初回も見事に200余りの座席が満員になりました。何年ぶりかに行った恵比寿ガーデンシネマは相変わらず、小奇麗でどこかこまっしゃくれておったのでした。この翌日にも「25時」も見に行ったので私は東京での3日間、毎日ここに行っておったことになる。恵比寿マニアか、俺は。

 舞台は1989年。ベルリンの壁崩壊直前のベルリン。東ベルリンに住む(つまり東ドイツ人)アレックスは変わりつつある時勢を敏感に感じていた。彼の父親は彼が子どもの頃に西ドイツに亡命。彼と姉を育てた母親はその反動からか、東ドイツに忠誠を尽くす愛国主義者であった。建国40周年を祝う盛大な式典が行われた10月7日に東ドイツ各地に改革を求める大規模なデモがわきあがった。その中にアレックスの姿もあったのだが、彼を見た母親は卒倒してしまった。心臓発作で彼女は昏睡状態となってしまった。アレックスは自分のせいだ、と感じて母親の看病を続けた。

 8ヵ月後、母親は奇跡的に目を覚ました。「もう一度強いショックを与えると命取りになる」という医師の言葉にとまどうアレックス。党書記長であるホーネッカーは辞任し、あのベルリンの壁も崩壊していたのだ。東ベルリンにも資本主義の波が押し寄せてきた。バツイチ、子持ちの姉はバーガーキングに勤めだし、恋人もできた。アレックスも衛星放送のセールスマンに転職し、ワールドカップをダシにアンテナを西ドイツから来た映画オタクのデニスと売り歩いていた。街にはコカコーラの看板が翻り、ピカピカのスーパーマーケットがあちこちにたっていた。こんなベルリンの様子を見れば、母さんは死んでしまう。。アレックスは母親を自宅に連れ帰り、世の中は何一つ変わってないフリをしようとした。

 が、それは思った以上に困難であった。母親が愛した東ドイツのまずい食べ物は西ドイツ産の良質なものに駆逐されて姿を消していた。ゴミ箱から瓶を拾い集め、古いピクルスを何とか探し集めた。が、今度は母親はテレビが見たいと言い出した。。

 ベルリンの壁の崩壊が1989年の11月9日。東西ドイツの統一がそれから約一年後の10月3日。当時、私は小学生で同時代を生きていたのですが「何か大変なことが起こったらしい」ぐらいの感想しかありませんでした。この時期、ワルシャワ条約機構の国々の民主化が次々と起こっており、ベルリンの壁崩壊はそれを決定づけた出来事でした。そしてまもなく、社会主義国の親分であったソ連もその看板を下ろすことになります。たった一年ほどで体制が変わってしまったのですからそこに住む人々にとっては「何か大変なこと」が起こったに相違なかったのです。

 この映画のプロデューサーであるシュテフォン・アルントは「ベルリンの壁の崩壊を背景にした映画を撮るには10年かかった」と言っています。冷静にこの現象を見つめるのには確かに時間が必要であったと思います。歴史的に言うと「経済崩壊した東ドイツが西ドイツに併合された」の一言で終わるのだろうが、そこにはその時代を生きた人々の思いは入らない。やはり10年後だから、語れるということはあるのだろう。日本でも「光の雨」が作られるのに何年かかったことか。

 とまあ非常に大きなテーマを扱った映画なんだが、肩の力を抜いて見てられるのはまず面白いことだろう。テレビを見たいと言った母親の為に東ドイツが健在である偽の番組を作るシーンは面白かったし、アレックスの奮闘ぶりも微笑ましく見てられる。展開もコロコロ変わるので飽きずに見てられます。母親をだます為に始めた演出だったがいつかアレックスは東ドイツは本当に駄目な国だったのか、と疑問を持ち始めるのだ。

 好きだったのはかつて宇宙飛行士だった男が現在、タクシー運転手になっていたエピソードです。アレックスは子どもの時に彼が宇宙から挨拶をしているのを見ており、ずっと彼をヒーローと思っていた。やはり東ドイツは遠く過去になっていたのだ。そのことを噛み締めながら、彼の運転するタクシーに乗って亡命した父親に会いに行くシーンも実にいいです。いろんな意味で考えさせられる映画で大人の鑑賞に堪えうる映画です。万難を排しても見に行かれますよう。

サイン

2002年11月6日 洋画全般
 なんかヒットしているようですが、これはメル・ギブソンが主演でなく、ミニシアター配給だったら、3ヶ月ほど走って、映画ファンの間で少し話題になって終わる映画だと思います。

 こういう映画は感想が書きにくいのです。だって何を書いてもネタバレになる可能性を含んでいるからです。(まあシャマランの映画は全部そうですが)監督がこの映画を大真面目に撮ってるのか、それか「発狂する唇」みたいなスタンスで撮っているのか、わかりませんが、大真面目に解釈すると全ての出来事には意味がある。監督は少なくともそう考えている。おすぎが「これは宗教の映画」と言うておりましたが、そう言えばそうかもしれません。

 「マグノリア」に近いですが、「マグノリア」は「人生って何が起こるかわからない。だから面白い」という爽快感を持っているのに対し、「サイン」は「人生の不可解なことにも全て意味がある。だから神に感謝しなさい」という“畏敬”を示した「道徳の映画」みたい。

 私の身近でくすくす笑ってる方がいらっしゃいましたが確かに笑えるポイントは多い。「よーし。パパは今日、ベーコン・ハンバーガー食べちゃうぞ!(2ちゃんねる風)ベーコンたっぷりのせてやる!ホアキン!おまえは何が欲しい」「あー。。。テリヤキ」の件(くだり)とか子供の読んでる宇宙に関する本が小さな本屋の倉庫で眠っていた本で作者が「異端者科学者グループ」(失業者が書いた本か、というシュートなツッコミがあり)で内容もトンデモだったり、ホアキンが陳腐な宇宙人映像に怯えたり。。

 まあとりあえず一度、ごらんになることをお薦めします。

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