私が映画を見始めて5年。こんな短い年月にも多くの映画館が無くなりました。ここではそうした映画館を紹介していきます。

 基本は関西でここ数年で無くなった映画館ですが、行ったことの無い映画館は除きます。(国名小劇は行ったことがありませんでした。)

古い映画館については以下のサイトが大変詳しいです

http://homepage2.nifty.com/bkbn/

第一回は京都を代表するミニシアターだった京都朝日シネマ。

実はこの文章はここでもアップしているが、何分にも古い記事で忘れておられる方や知らない方もいらっしゃるのでここにもう一度挙げておく。

 2003年1月29日。京都は氷点下4℃を記録し、今年一番の寒さとなった。夜9時半。私は三条河原町を後にした。本日を持って関西を代表するミニシアターである京都朝日シネマが閉館した。そのフィナーレ企画である「お引越し」を見ての帰り道であった。

 私が映画に興味を持ったのは今から4年前。まだ私が大学生の頃だった。しかし私が京都朝日シネマに足を踏み入れたのはさらにその2年前に遡る。当時の社会現象となったアニメ、「エヴァンゲリオン」を見に行っていたのだ。記憶にほとんど残っていないのだが、春と夏に上映があり、両方とも朝日シネマで見たと思う。(ひどく混んでおり、夏は立ち見で見た記憶がある。)当時、私はまだ映画をほとんど知らなかった。時は97年3月。これが私と朝日シネマの出会いだった。それから数年。実に多くの映画を見てきた。

 思い返してみると、実に多くの映画を見た映画館であったことを改めて思い起こす。しかし私なんぞよりもずっと昔から映画を見ている人にとってはそれどころではないと思う。本日の京都朝日シネマは実に多くの映画ファンでごったかえてしていた。私はその場で実に3年ぶりに友人と再会した。事前に混雑を予想した私は半休を取って朝一番に整理券をもらいに行っていたのでゆっくり座ることができた。

 私は劇場で年間100本以上の映画を3年連続見ている。普通の人々に話すと凄いね、と言われる。そして付け加えるように、「そんなに見てどうするの?」。ほっとけ、と言いたい。趣味に”映画鑑賞”と書く人は千差万別で劇場鑑賞本数年600本の人から、一年に3回ほどシネコンで映画を見る、という人から様々である。しかし大まかな分け方をするとビデオ派と劇場派に分かれるのではないか、と思う。言わずとしれる、私はもちろん後者である。基本的に映画は劇場で見るものだと思っている。人によって事情は異なるので無碍に押し付けはしないが、私が映画ホグワーツの先生ならば劇場で見ることをお薦めするだろう。

 私が映画館で映画を見る理由として、実家にはテレビが一台しかないのでなかなか一人で独占して映画を見ることができないことや集中力が常人に比べて少ないので二時間ぶっ通しで見れない、などが挙げられる。しかし一言で表すと「映画館が好きだから」に尽きる。大学2年生の際、母親に連れられて行った「タイタニック」を見てボロ泣きしてしまった私は今までほとんど見ることがなかった映画に興味を持った。映画を映画館で見ようと思ったのだ。当初は映画館に一人で入るのに抵抗はあったし、1500円は大学生にとってはキツかった。しかしそれから5年経ち、最近本当に映画のよさがしみじみとわかるようになった。席にゆっくり座り、映画の上映を待つ。映画を充分に味わい、時には大笑いし、時には涙を流す。上映が終わり、場内がゆっくり明るくなる。その全ての瞬間が本当に幸福だと思えるようになった。

 これはここ数ヶ月の話である。京都朝日シネマは私にそうした「映画の楽しさ」を色々教えてくれた映画館の一つであった。シネコンばやりの世の中では小さな映画館であったし、ラインナップにも若干の不満があったときもある。しかしそれでも私にとって、そこは一つの”家”であった。朝日シネマと関係の深かった茂山千之丞さんがおっしゃったように”コヤ”であったのだ。かつて芝居が全盛であった頃、芝居小屋は劇場だけでなく、人々にとっては”憩いの場”であり、もう一つの”我が家”であった。朝日シネマは私にとってはそういうところだった。皆にとってそうだったかはわからないが、私にとってはそうだったのだ。

 昨日、私は一粒の涙を流すことはなかった。心の中で自らを平静に持って行こうと耐えていたからだ。私は子供の頃から感情を出すことを極力避けてきた。それは人一倍、感情もろい人間であるからだ。閉館から一日たった本日、私は涙を流しながらこの文章を打っている。何でもないことだが新聞の映画欄に「閉館致しました。再見!」と記載されているのを見た途端に滂沱のように涙が流れた。私にとって朝日シネマはそうした映画館であったことをはじめて認識したのだ。フィナーレに立ち会えてよかった。

 それから約10ヵ月後。
 京都朝日シネマのスタッフは烏丸に映画館を作ることを決定した。「再見!」の約束は果されたのです。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2003oct/21/W20031021MWG2K100000036.html

失われた映画館をよみがえらせたい――。如月社(京都市)社長、神谷雅子さん(47)の願いが年内に実現する。今年12月、京都市中心部の四条烏丸に「京都シネマ」を開く予定だ。

 昨年1月、「京都朝日シネマ」が閉館した。1988年の開館から運営に携わり、最後は支配人まで務めた。閉館を惜しみ、存続を求める署名は7000人に上る。そんな声に後押しされ映画館の再生を決意、自ら会社を起こした。

 京都に住んで30年。ここ数年、郊外にシネコン(複合型映画館)が相次いで誕生し、老舗映画館の閉館が続いた。「これ以上、良い映画館をなくすわけにはいかない」

 開業資金は2億円。この1年、地元企業や映画の配給会社を回って援助を依頼、おおよそのめどは立った。「若手に自主映画発表の場を提供するなど映画文化の発信拠点に育てていきたい」


http://www.nikkei.co.jp/onnaing/20040225e3m2500o25.html

開館まであと数ヶ月と迫った。どのような活動がされるのか、京都の映画ファンとして如月社への興味は尽きることがない。

次回は2002年12月29日に閉館した扇町ミュージアムスクエアです。

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