映画「バトル・ロワイアル」は単純な殺し合い映画ではない。そこにあるのは「どこまで人は他人を信じること、守ることができるか」というしんどすぎる命題である。佐世保の少女はそこを見誤ったのである。週刊誌によると二人の仲は断絶したものではなかったと言う。殺した瞬間に既に後悔してる様子だったから、本当に些細なことで殺してしまったんだろう。もしもこんな事件がなければ、ネットアイドルになってそれなりに楽しい中学、高校生活は送れただろうに。それが幸せかどうかは知らないが。自己防衛にしか過ぎない殺人は結局、自分を殺すことになる。光子があっさりと死んでしまうのは、それを物語っている。彼女は生涯に渡り、その原罪におびえて誰も愛せずに生きるだろう。それが彼女が生涯背負っていく”業”である。

 

 「バトル・ロワイアル」は七原という普通の少年が最愛の人を守る為に国家と戦う決意を固めるところで終わりを告げた。「バトル・ロワイアル?」はテロリストになった七原の物語である。9・11のテロを見た深作父子は、七原の終着点はテロリズムしかないと考えたのだ。七原のテロで娘を失ったRIKI、父親に棄てられたキタノシオリ、そしてまた大人たちによって兵士にされた子どもたちを登場させ、七原と対比させた。他人を守る、という私的なところから、正義とは、使命とは、という大きすぎる命題を突きつける問題作になる。。予定だった。映画館で見た時には正直、辟易したが、今見直すと背景にはすごく説得力あるし、深作が何故この映画を撮ろうと思ったかはわかる。が、ストーリーがぐにゃぐにゃで雑なアクションシーンばかりが目立つ、しんどい作品になってしまった。これは深作健太、助監督の原田徹の力量不足も否めないが、予想以上に歩を進める世界情勢に気をとられすぎて、現代世界のパロディ化を必死にやってしまうことばかりに必死になってしまい、それだけで終わってしまったという印象を受ける。だからこの一作で、深作健太の映画監督的な能力を問うことはやはり酷だと思う。


 「深作組」は深作欣二の映画を作るために作られた製作プロダクションである。深作欣二が亡くなった今、深作組はどうなっていくのか。「バトル・ロワイアル?」を作り上げた今、「深作組」の仕事は終わった、と思う。今後は黒澤プロダクションのように深作欣二の映画を管理していく会社になっていくのか。しかし、これも現状としては東映と松竹が既に目ぼしい作品はDVD化してしまったし、権利も持ってないように見える。「仁義なき戦い」って名前も「新・仁義なき戦い」シリーズを持つ東映のものだろうし。

 考えられるのは健太氏、または原田徹氏の作品を作っていく製作プロダクションとして歩んでいくか、それかプロデュースを行っていく会社になっていくか、であろう。現在の「深作組」は「バトロワ組」である。そのイメージから脱しきれるのか。健太氏はプロデューサーになるのか、脚本家になるのか、監督になるのか、もよくわからない。健太氏は頭の回転は早いと思うし、荒削りで未完成ながらも「バトルロワイアル?」をヒットさせたのだから、プロデューサーとしての能力は高い。日本映画に一番足りないのは映画を愛する心と時流を読める能力を持ったプロデューサーである。昨年の湯布院映画祭にも来ておられたのだが、ファンに対して真摯に向き合う方なので好感を持った。(私も自サイトの宣伝をして、「深作まつり」という名前にした意味なんかも長々と説明してしまった。ちゃんと聞いてくれた健太氏はきっといい人に違いない。)ぜひ、頑張って欲しい、応援したい映画人である


 「バトル・ロワイアル」とは非常に誤解の受けやすい作品である。イメージ戦略の一種だったとは言え、荒唐無稽な設定ばかりが一人歩きしてしまって、「キルビルvol.1」みたいな作品だと思っている映画ファンもいる。(だから私は「キル・ビル」があまり好きではない。)しかし、ここまで長々と書いてきたように、その本質とはとても純粋な命題である「人間はどう生きるか」に真剣に取っ組み合ってる映画なのである。

 確かに深作欣二の映画は暴力を扱うものが多い。「仁義なき戦い」にしても「仁義の墓場」にしてもそうだ。しかし、その暴力は決して自己防衛にのみに特化されるものでなかった。「仁義なき戦い」の、あの感傷すぎるラストは、実録映画の代表作でありながら、後に作られる実録映画とは一線を画している。(これについてはいずれ、じっくり語ろうと思う。)坂井は「自分たちの会社を作るんや」という夢を抱いて、抗争を繰り返してきた。しかしその強引な手法を友人である広能に咎められ、結局は自らも暴力によって死ぬ。深作はのしあがっていく人物を嬉々として描くが一方でその人物は哀れな末路を遂げさせた。「現代やくざ 人斬り与太」「仁義なき戦い」「仁義の墓場」「県警対組織暴力」などはまさにそうした作品であった。決して暴力を肯定するような作品は作っていなかった。「遅れてきた」深作ファンであるが、それだけは理解している。



ps いつか、こういうものを書かねばならないなあと思っていた。今回はいい機会だったと思う。映画評論ってなもんは、百人が百通りを感じるものでそこが面白いのだが、それだけでは映画評論というのはやはりなっていかないと思う。もちろん、意見の尊重は必要だが。皆様がまたどう思われたか、意見を聞かせていただくと幸いである。(あ、掲示板ないんだったな。。)最後に読んでいただいた方々に多謝。

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