俺たちの「バトル・ロワイアル」頂上作戦〜深作欣二は何故、この映画を作ったのか〜
2004年6月19日 深作まつり
自暴自棄になって、闇雲構わずに突撃をかけた挙句に殺されてしまう男、殺しあうぐらいなら死を選んだカップル、非戦を貫こうと山の上から呼びかけを行うが、桐山に殺されてしまった女子生徒、友人と二人で隠れるが結局は刺し違えた女子生徒、ドサクサにまぎれて女を犯そうとして逆に殺されてしまう男、これは夢だ、と最期まで信じた女、状況において選んだ生き様、死に様は実にいろいろである。俺が一番、ドキドキしたのは灯台の惨劇である。皆で生き残ろうと誓った仲間同士が結局は殺しあってしまう。殺しあうことなんか無意味と頭には思いながら、やはり我が身が可愛いのだ。その中でも象徴的な人物を挙げるとやはり、光子、桐山、三村、杉村、川田、そしてキタノであろう。
おそらく、佐世保の少女が一番興味を抱いたのは光子だろう。不幸な生い立ち(母親が諏訪太郎に売り飛ばした)のために世の中に対して決して発散できることのないルサンチマンを抱いて育った少女は、自分の力で生き残るしかないという特殊な状況においてパワーを発揮する。不意打ち、色仕掛け、奇襲とありとあらゆる手段を使ってゲームを勝ち抜いていく。が、そこには「奪う方に回りたかった」というどこか悲壮感が漂う。死ぬ直前まで、嬉々として人を殺していた彼女だったが結局は桐山に圧倒的な力の差を示され、惨めに死んでいくことになる。演じたのは柴咲コウ。今でこそ、誰もが知る女優であるが当時はCMで少し覚えられた程度でまだまだマイナー。体を張ってのアクションを見ると隔世の感がある。
桐山はリピーターである。彼にはクラスメイトを殺すというそうした後ろめたさがまずない。当初は普通の少年であったかもしれないが、異常な状況の中で彼の中の何かが変わった。彼には感情というものがない。彼にとっての殺人ってのは、今や水を飲む、息をするというのと同じであろう。そうした彼が生きることを許されるのはこの異常な状態だけである。安藤政信は監督に頼んで全ての台詞を削ってもらったという。桐山は過去も全く語られなかった。何か付け加えれば無駄になる。光子、三村を情緒なく殺してしまう。言わば天災のような、理不尽な存在であると思う。
三村は始めからゲームに参加するつもりなどなかった。全ての生徒がこんな無茶なんか通るはずがない、と思いながらも結局は殺しあう結果になってしまった中で、彼は誰も殺さずにクールに脱出方法だけを考えていた。一見、すごく利己的な野郎に見えるが「バトル・ロワイアル」における三村の存在意義は大きい。大人の最大の強みはこのゲームを管理できる、ということである。だったら、その前提をつぶしてしまえばいい。テロリズムである。現にハッキングでコンピュータをめちゃくちゃにされた大人は無様に惑うのみであった。テロリストの叔父を持つという彼にとっては、法律というものは守るものではなく、壊すものだった。そして新しく作り直す。世界がめちゃくちゃなら、新しい世の中を俺が作ってやる。物語の中では一番前向きなキャラクターである。深作健太が一番好きだったのはこの三村ではないか。しかしその三村も桐山の理不尽な暴力の前にあっさりと死んでしまう。演じたのは塚本高史。この人も売れました。「バトル・ロワイアル」って俳優のタマゴがいっぱいでているんだが当時全く、知名度がなくて、今売れているのはこの人ぐらいだな。
杉村はロマンチストである。彼もまた殺し合いに参加しなかった。それは、密かに思いを寄せていた女の子に逢うためである。おそらく、七原が典子を守ったように、彼も彼女を守ってゲームを生き抜こうとした。が、不幸にも彼は死ぬ。その女の子の手にかかってである。あっけない最期ではあるが、考えようによっては一番幸福な最期だったかもしれない。もし、二人で生き残れたとしても川田がたどったような選択をせねばならなかったかもしれないのだから。
そして川田である。川田を演じたのは山本太郎。どこをどう見ても中学生には見えず、それだけでも話題を呼んだ。しかし、映画を見ればわかるのだが、山本太郎はぴったりと役柄にはまっている。それは川田がリピーターという設定で元から中学生でない、ということもあるがそれ以上に川田が明らかにこの集団の中では違うキャラクターであることをよく表しているからだ。(桐山を演じた安藤政信も)彼は”大人”なのだ。深作は自分を川田に重ね合わせた。”大人”の深作欣二を、である。川田は最愛の人と「バトルロワイアル」を戦った。しかし最後には彼女を殺してしまった。彼女自身がそれを望んだ。この重要な役を演じたのは、これがデビューになった美波。当時はまだ中学生になったばかりだが、よくこんな難しい役をやったと思う。川田は最愛の人を最後まで守ることができなかった。その悔しさが彼をもう一度、この異常な状況に送った。この川田の思いに深作はかつての戦争経験を重ねたのではないか。バタバタと級友が撃たれて死んでいく。自分はその死体に隠れて敵が遠ざかるのを待つしかなかった。他者を守ることができなかった。
優秀な闘士である川田は何故、足手まといにしかならない二人を最後まで守ったか。それは彼にとっての一種の仕返しであったのではないだろうか。「人を信じてはいけない」というバトル・ロワイアルのセオリーにだ。彼は他人を、そして最愛の人を守ろうとした七原を最後まで守った。しかし彼にはもう最愛の人はいない。彼は少年ではなく、既に大人なのだ。「川田に”大人”の深作欣二を重ねた」と書いたのはこの意味である。最後に対決することになるキタノは守るべき他人を喪失した、哀れな男である。地獄の中で彼が最後に見た光明は典子であった。しかし彼が七原になれないのは、彼自身が一番わかっていた。七原が典子を守る為に殺した、はじめの人間はキタノになった。キタノは典子を守る為に七原に他人を守る覚悟を決めさせた、と言っていいだろう。
またまた続きます。。
おそらく、佐世保の少女が一番興味を抱いたのは光子だろう。不幸な生い立ち(母親が諏訪太郎に売り飛ばした)のために世の中に対して決して発散できることのないルサンチマンを抱いて育った少女は、自分の力で生き残るしかないという特殊な状況においてパワーを発揮する。不意打ち、色仕掛け、奇襲とありとあらゆる手段を使ってゲームを勝ち抜いていく。が、そこには「奪う方に回りたかった」というどこか悲壮感が漂う。死ぬ直前まで、嬉々として人を殺していた彼女だったが結局は桐山に圧倒的な力の差を示され、惨めに死んでいくことになる。演じたのは柴咲コウ。今でこそ、誰もが知る女優であるが当時はCMで少し覚えられた程度でまだまだマイナー。体を張ってのアクションを見ると隔世の感がある。
桐山はリピーターである。彼にはクラスメイトを殺すというそうした後ろめたさがまずない。当初は普通の少年であったかもしれないが、異常な状況の中で彼の中の何かが変わった。彼には感情というものがない。彼にとっての殺人ってのは、今や水を飲む、息をするというのと同じであろう。そうした彼が生きることを許されるのはこの異常な状態だけである。安藤政信は監督に頼んで全ての台詞を削ってもらったという。桐山は過去も全く語られなかった。何か付け加えれば無駄になる。光子、三村を情緒なく殺してしまう。言わば天災のような、理不尽な存在であると思う。
三村は始めからゲームに参加するつもりなどなかった。全ての生徒がこんな無茶なんか通るはずがない、と思いながらも結局は殺しあう結果になってしまった中で、彼は誰も殺さずにクールに脱出方法だけを考えていた。一見、すごく利己的な野郎に見えるが「バトル・ロワイアル」における三村の存在意義は大きい。大人の最大の強みはこのゲームを管理できる、ということである。だったら、その前提をつぶしてしまえばいい。テロリズムである。現にハッキングでコンピュータをめちゃくちゃにされた大人は無様に惑うのみであった。テロリストの叔父を持つという彼にとっては、法律というものは守るものではなく、壊すものだった。そして新しく作り直す。世界がめちゃくちゃなら、新しい世の中を俺が作ってやる。物語の中では一番前向きなキャラクターである。深作健太が一番好きだったのはこの三村ではないか。しかしその三村も桐山の理不尽な暴力の前にあっさりと死んでしまう。演じたのは塚本高史。この人も売れました。「バトル・ロワイアル」って俳優のタマゴがいっぱいでているんだが当時全く、知名度がなくて、今売れているのはこの人ぐらいだな。
杉村はロマンチストである。彼もまた殺し合いに参加しなかった。それは、密かに思いを寄せていた女の子に逢うためである。おそらく、七原が典子を守ったように、彼も彼女を守ってゲームを生き抜こうとした。が、不幸にも彼は死ぬ。その女の子の手にかかってである。あっけない最期ではあるが、考えようによっては一番幸福な最期だったかもしれない。もし、二人で生き残れたとしても川田がたどったような選択をせねばならなかったかもしれないのだから。
そして川田である。川田を演じたのは山本太郎。どこをどう見ても中学生には見えず、それだけでも話題を呼んだ。しかし、映画を見ればわかるのだが、山本太郎はぴったりと役柄にはまっている。それは川田がリピーターという設定で元から中学生でない、ということもあるがそれ以上に川田が明らかにこの集団の中では違うキャラクターであることをよく表しているからだ。(桐山を演じた安藤政信も)彼は”大人”なのだ。深作は自分を川田に重ね合わせた。”大人”の深作欣二を、である。川田は最愛の人と「バトルロワイアル」を戦った。しかし最後には彼女を殺してしまった。彼女自身がそれを望んだ。この重要な役を演じたのは、これがデビューになった美波。当時はまだ中学生になったばかりだが、よくこんな難しい役をやったと思う。川田は最愛の人を最後まで守ることができなかった。その悔しさが彼をもう一度、この異常な状況に送った。この川田の思いに深作はかつての戦争経験を重ねたのではないか。バタバタと級友が撃たれて死んでいく。自分はその死体に隠れて敵が遠ざかるのを待つしかなかった。他者を守ることができなかった。
優秀な闘士である川田は何故、足手まといにしかならない二人を最後まで守ったか。それは彼にとっての一種の仕返しであったのではないだろうか。「人を信じてはいけない」というバトル・ロワイアルのセオリーにだ。彼は他人を、そして最愛の人を守ろうとした七原を最後まで守った。しかし彼にはもう最愛の人はいない。彼は少年ではなく、既に大人なのだ。「川田に”大人”の深作欣二を重ねた」と書いたのはこの意味である。最後に対決することになるキタノは守るべき他人を喪失した、哀れな男である。地獄の中で彼が最後に見た光明は典子であった。しかし彼が七原になれないのは、彼自身が一番わかっていた。七原が典子を守る為に殺した、はじめの人間はキタノになった。キタノは典子を守る為に七原に他人を守る覚悟を決めさせた、と言っていいだろう。
またまた続きます。。
コメント