最近、映画も歌もリメイクと言うか、リバイバルブームで多くの名作がリメイクされてます。聖林なんて今や映画はリメイクかアメコミの映画化ばかりですもんね。たけしが「座頭市」をリメイクすると聞いた時には、なんかやっぱり厭でした。「座頭市」って言えば勝新太郎の代名詞でイメージがあまりにも定着しきってます。たけしも一回は断ったが最終的には受けた。デビュー作の「その男、凶暴につき」以外の北野映画というのは基本的にオフィス北野が制作費を出す、自主映画整作方式なんですがこの映画は、他からオファーがあって引き受けた仕事です。企画したのは齋藤知恵子という方なんですが、この人は映画の人ではなくて浅草の実業家でたけしの浅草時代の恩人らしい。

 言わば芸術という側面よりたけしの娯楽映画としての才を買われて頼まれた仕事。もっともたけしはいつか時代劇をやりたい、といろんなところで書いていました。ただネックはお金の問題で時代劇というのは大変、お金がかかる。自主映画方式では難しいとも書いています。今回の機会は絶好の機会だったのかもしれません。それで賞まで取ってしまって「ゲロッパ!」を遠く引き離し、現在ヒットをかっ飛ばしています。才能もあるけど運もありますね。

 予告編を見たら、たけしは金髪になってるし、タップダンス踊ってるし、こらもうかなわんな、と。「SFサムライフィクション」みたいに時代劇こねくり回して、ぐっちゃぐっちゃになったもんに「巨匠」印を押されて見せられるんちゃうかと不安に覚えておったんですが、実際に見てみるとこれがちゃんとした時代劇になってる。腕が滅法立つ浪人、彼に寄り添う病身の妻、典型的な悪徳商人に、仇討ちを誓う姉と弟、と従来の古典的時代劇スタイル。ただ、そのままやったら面白くないんで少し変えてある。タップダンスも金髪もその一種。が、不思議なもんで金髪は全然違和感ないんだわな。タップダンスがどこに出てくるかは見てのお楽しみ。このシーンがまたいいんだ。

 たけしの映画は暴力が主題になっていますが、今回の「座頭市」も血がドバドバ出るシーンが満載で大層、痛い映画です。一般にアクションシーンは爽快なものですがたけしの映画は決してそうではない。これは、たけしの中にある、暴力への突き放した思いがあるのではないでしょうか。深作監督の中にはどこか、暴力に対する恋慕、憧れみたいなものがあると思うがたけしは違う。たけしの映画では人間がゴミのように死んでいく。深作の映画みたいに何発も撃たれて死ぬ奴らが出てこない。たけしにとっての暴力とはカッコ悪いもんでまたそれに惹かれる人間も大嫌い。この映画の座頭市は従来のたけし映画の主人公のように、無表情に人を殺していきます。浅野忠信との決闘もあっさりとすませてしまう。暴力には美学なんてない。ただ、強い者が弱い者を殺すだけ。

 座頭市に対して思い入れがない分、浪人夫婦と仇討ちの兄弟に監督の興味は向いています。浪人の妻に夏川結衣を引っ張ってきたのはさすがですね。出番は少ないですが、彼女が浪人の支えになっていることがよくわかる。それから大家由祐子(この人は北野映画の常連。数年前、たけしの愛人説が囁かれた。)と橘大五郎の兄弟もよかった。これは橘大五郎という役者がいたからこそできたエピソードですが、姉役の大家さんもよかった。ギリギリのところを描いています。ここがなかなか泣かせる。反対に笑わせてくれるのがガダルカナル・タカ。どうにもしょうがない遊び人で彼がやるチャンバラ講座は爆笑もんです。確かに三人で同時に打ち込んだら一人で戦っても勝ち目がないんだけどね。そうした時代劇のお約束をやっちゃうところが面白い。白塗りのバカ殿メイクで呆然と燃える家を見るシーンが印象的です。

 今まで、たけしってのは芸術の人でずっとこのまま行くんだろうと思ってましたがこういう映画も撮れるんですね。でも次はまた全然違う映画を撮るんでしょうけど。「座頭市」の原点を崩すことなく、全く違うものを作ってしまった。かなり好きな作品でもう一回見てもいいと思う映画。それから「座頭市」は三池崇史もリメイクしたいそうで、彼のまた「座頭市」も見てみたいと思います。

監督、脚本、編集:北野武、企画:齋藤知恵子 原作:子母沢寛 撮影:柳島克巳 衣装:黒澤和子
出演:ビートたけし、石倉三郎、ガダルカナル・タカ、橘大五郎、大家由祐子、岸部一徳、大楠道代、夏川結衣、柄本明、浅野忠信、田中要次、津田寛治

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