舞台挨拶付き井筒和幸監督作品「ゲロッパ!」〜井筒の考える映画とは〜
2003年8月31日 8月は湯布院映画祭とか、仁義なき戦いオールナイト大会とかあったためか、劇場での鑑賞本数が32本となりました。計算をすると勤めをしながら毎日、映画を見ておった計算になります。見下げ果てた道楽者でございますな。うふ。
今日はお待ちかねでございます。井筒和幸の「ゲロッパ!」。8月30日にMOVIX京都で行われた舞台挨拶を見てきました。監督と西田さんと常盤貴子と岸部一徳さんが来てました。個人的には一徳さんを見れたのがとても嬉しい。「いやーこのへん懐かしいですわ。高校生の時には毎日のように来てました」岸部さんは京都人やからね。関西弁もなめらかでございます。監督はと言いますと、意外に静かで神妙な顔つきで挨拶してました。
2ちゃんねるで一部のうんこちゃんが舞台挨拶中に「金返せー」とか叫ぶという話を聞いていたのですが舞台挨拶は滞りなく終了。面白くないかどうかは人それぞれですけど、やはり舞台挨拶を見に来ているお客というのは映画に対して好意的な人でそういう人たちの空間を潰そうとするのはやはりアホだと思うし、ぶん殴られても仕方ないと思う。ただ、監督がなんか元気なかったのが気になったなあ。。
この映画のキーワードは「本物と偽者」です。JBのそっくりさんが出てきますし、常盤貴子は物真似タレントのマネージメントをやっています。それから主人公の西田敏行は極道で子分達と疑似の親子関係を築いています。西田敏行は小さな組をかまえる極道で生き別れた娘との再会を願っています。この娘が常盤貴子でこの二人の物語が映画の中心になります。つまり本物の親子関係ですね。そしてもう一つは井筒監督がよく言う「本物の映画」。
世間での井筒監督のイメージはやはり「戦うオッサン」です。テレビでアメリカ映画の悪口を言いまくり、映画以外のことでも強気のコメントを繰り広げる頑固親父。その発言の全てが間違ってるとは思わんが、少しテレビに出過ぎ。2ちゃんねるで指摘されている北朝鮮問題に対するコメントもどうかと思うしね。映画評論にしてもピントがずれているというか、そこまで言わなくても。。と思う。いかりやのことを「あんなん、どこが渋い俳優なんですか。昔からテレビ出てるだけ」とコメントしましたが、演技の質云々よりも病と戦っている人をそうこき下ろすのは如何なものか。私は結構、いい演技してると思うぞ。
もっとも今の井筒がどこまで演技なのか地なのかはよくはわかりません。が、井筒が映画のことをどう考えてどんな映画を作りたいか、ということはこの「ゲロッパ!」からも充分読み取れました。私が映画を見始めた99年ごろ、井筒監督の「のど自慢」をほとんど期待せずに見に行きました。その映画が面白かったのなんの。キャラクターの一人一人が魅力的でテンポもよくて、たっぷり笑わせて、泣かせどころではきっちり泣かせる、完璧な作品だったのです。その日は二回続けて鑑賞し、映画の世界に浸りました。私が日本映画に興味を持つのにきっかけになった作品で今でも私のマイベストの1本です。
「ゲロッパ!」も基本的に「のど自慢」と一緒で泣かせどころで泣かせて、たっぷり笑わせる。多くの登場人物も生き生きしています。ただ、今ひとつ乗り切れませんでした。それは監督の中でどこか迷いがあったんじゃないでしょうか。
井筒和幸の考える映画というのは娯楽で一種の”まつり”です。映画館中が笑い声で満ち、非常に楽しい空間になっている。映画館を出てからも、映画について「あそこがよかった、ここが面白かった」と話す観客。井筒の言う映画というのはそういうものじゃないかと思います。映画が娯楽の帝王、そういう時代は確かに存在しました。
が、今の日本じゃそれは難しい。深作欣二も言ってたことですが「いつかギラギラする日」みたいな映画を撮ってもそれに答えてくれる観客がもういないのです。「仁義なき戦い」オールナイトを見てきましたが山守の卑怯さに皆が笑い、拓ボンの死にっぷりに思わずため息をもらす。そこにはまだそういう空間は広がっていました。湯布院映画祭にもありました。が、一般にそれが広がっているか。「ゲロッパ!」ならば、西田敏行の踊るシーンで拍手が巻き上がり、手拍子をする人がいてもいいと思う。
でもその映画に対する熱気みたいなものを日本の観客に求めるのは無理だと思います。みんな、静かに見てますもん。クスクス笑いはあってもそれ以上のものはない。それは日本映画だけじゃなくて、どんなアメリカ映画を見ても一緒です。
「のど自慢」は評論界の評判もよく、テレビとのタイアップもあったし、宣伝も力入れて行っていました。が、結果は惨敗。当時、公開されていた「踊る大捜査線」とは対照的に一ヶ月ほどで打ち切りになりました。同じ99年公開の「ビッグショー!ハワイに唄えば」からしばらく映画を撮らなかった井筒監督の気持ちを考えるとやはりショックだったんだと思います。その迷いみたいなものが映画にチラチラとしている。「のど自慢」に比べると思い入れみたいなものが感じられずに小手先で逃げているような気がする。
でもやっぱ、ヒットして欲しいですね。そういう観客がいるというのはやはり日本映画界もまだまだ棄てたもんじゃないと思うし。いつも言うてることですが映画はやはり「まつり」なんですから。
今日はお待ちかねでございます。井筒和幸の「ゲロッパ!」。8月30日にMOVIX京都で行われた舞台挨拶を見てきました。監督と西田さんと常盤貴子と岸部一徳さんが来てました。個人的には一徳さんを見れたのがとても嬉しい。「いやーこのへん懐かしいですわ。高校生の時には毎日のように来てました」岸部さんは京都人やからね。関西弁もなめらかでございます。監督はと言いますと、意外に静かで神妙な顔つきで挨拶してました。
2ちゃんねるで一部のうんこちゃんが舞台挨拶中に「金返せー」とか叫ぶという話を聞いていたのですが舞台挨拶は滞りなく終了。面白くないかどうかは人それぞれですけど、やはり舞台挨拶を見に来ているお客というのは映画に対して好意的な人でそういう人たちの空間を潰そうとするのはやはりアホだと思うし、ぶん殴られても仕方ないと思う。ただ、監督がなんか元気なかったのが気になったなあ。。
この映画のキーワードは「本物と偽者」です。JBのそっくりさんが出てきますし、常盤貴子は物真似タレントのマネージメントをやっています。それから主人公の西田敏行は極道で子分達と疑似の親子関係を築いています。西田敏行は小さな組をかまえる極道で生き別れた娘との再会を願っています。この娘が常盤貴子でこの二人の物語が映画の中心になります。つまり本物の親子関係ですね。そしてもう一つは井筒監督がよく言う「本物の映画」。
世間での井筒監督のイメージはやはり「戦うオッサン」です。テレビでアメリカ映画の悪口を言いまくり、映画以外のことでも強気のコメントを繰り広げる頑固親父。その発言の全てが間違ってるとは思わんが、少しテレビに出過ぎ。2ちゃんねるで指摘されている北朝鮮問題に対するコメントもどうかと思うしね。映画評論にしてもピントがずれているというか、そこまで言わなくても。。と思う。いかりやのことを「あんなん、どこが渋い俳優なんですか。昔からテレビ出てるだけ」とコメントしましたが、演技の質云々よりも病と戦っている人をそうこき下ろすのは如何なものか。私は結構、いい演技してると思うぞ。
もっとも今の井筒がどこまで演技なのか地なのかはよくはわかりません。が、井筒が映画のことをどう考えてどんな映画を作りたいか、ということはこの「ゲロッパ!」からも充分読み取れました。私が映画を見始めた99年ごろ、井筒監督の「のど自慢」をほとんど期待せずに見に行きました。その映画が面白かったのなんの。キャラクターの一人一人が魅力的でテンポもよくて、たっぷり笑わせて、泣かせどころではきっちり泣かせる、完璧な作品だったのです。その日は二回続けて鑑賞し、映画の世界に浸りました。私が日本映画に興味を持つのにきっかけになった作品で今でも私のマイベストの1本です。
「ゲロッパ!」も基本的に「のど自慢」と一緒で泣かせどころで泣かせて、たっぷり笑わせる。多くの登場人物も生き生きしています。ただ、今ひとつ乗り切れませんでした。それは監督の中でどこか迷いがあったんじゃないでしょうか。
井筒和幸の考える映画というのは娯楽で一種の”まつり”です。映画館中が笑い声で満ち、非常に楽しい空間になっている。映画館を出てからも、映画について「あそこがよかった、ここが面白かった」と話す観客。井筒の言う映画というのはそういうものじゃないかと思います。映画が娯楽の帝王、そういう時代は確かに存在しました。
が、今の日本じゃそれは難しい。深作欣二も言ってたことですが「いつかギラギラする日」みたいな映画を撮ってもそれに答えてくれる観客がもういないのです。「仁義なき戦い」オールナイトを見てきましたが山守の卑怯さに皆が笑い、拓ボンの死にっぷりに思わずため息をもらす。そこにはまだそういう空間は広がっていました。湯布院映画祭にもありました。が、一般にそれが広がっているか。「ゲロッパ!」ならば、西田敏行の踊るシーンで拍手が巻き上がり、手拍子をする人がいてもいいと思う。
でもその映画に対する熱気みたいなものを日本の観客に求めるのは無理だと思います。みんな、静かに見てますもん。クスクス笑いはあってもそれ以上のものはない。それは日本映画だけじゃなくて、どんなアメリカ映画を見ても一緒です。
「のど自慢」は評論界の評判もよく、テレビとのタイアップもあったし、宣伝も力入れて行っていました。が、結果は惨敗。当時、公開されていた「踊る大捜査線」とは対照的に一ヶ月ほどで打ち切りになりました。同じ99年公開の「ビッグショー!ハワイに唄えば」からしばらく映画を撮らなかった井筒監督の気持ちを考えるとやはりショックだったんだと思います。その迷いみたいなものが映画にチラチラとしている。「のど自慢」に比べると思い入れみたいなものが感じられずに小手先で逃げているような気がする。
でもやっぱ、ヒットして欲しいですね。そういう観客がいるというのはやはり日本映画界もまだまだ棄てたもんじゃないと思うし。いつも言うてることですが映画はやはり「まつり」なんですから。
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