昨日を持って私も遂に25歳になってしまいました。20歳になったのが遂、最近のように思えるのですが、月日がたつのは本当に早いものでございます。こんなのを25歳にしてもいいのかな、俺は知らんよと思いますが本当に残酷ですな。トホホ。そしてふと気づけば老齢にさしかかり、老いさらばえて死んでいくんでしょう。

 今日、紹介するのは今年100本目の劇場鑑賞映画となった「愛妻物語」。今年、日本を代表する映画監督であり、シナリオライターでもある新藤兼人のデビュー作で1951年に撮られた作品です。新藤兼人が監督になるまでの半生を亡き妻とのエピソードを中心にして新藤兼人自身がまとめた、自叙伝の色が強い映画です。

 シナリオライター志望の青年、沼崎は下宿屋の娘と恋に落ち、駆け落ち同然に京都の撮影所にやってきました。彼は東京のある映画会社の研究生だったのですが、戦争による不景気で彼の居場所はなかったのです。ここらで独立せねばならないと考えていたのです。さっそく知己を頼り、シナリオライターとして巨匠・坂口監督(モデルは溝口健二)の作品を執筆しますが「これはシナリオではありません。単なるストーリーです」と読み棄てられます。

 今までの努力は何だったのか、、と自暴自棄になる沼崎を支えたのは女房の孝子でした。彼女は会社に掛け合い、もう一度挑戦させて欲しいと頼み込みます。一年間の猶予をもらった沼崎はもう一度、一から脚本の勉強を始めます。そんな沼崎を孝子は内職などで支えますが、今までの無理がたたり、彼女は結核に倒れます。。

 新藤さんは今年、91歳になりますがいまだに現役。今年は47作目になる「ふくろう」が公開されます。91歳になっても仕事ができるというのはしんどいとは思うが、本当に幸せであると思う。新藤さんは監督としても脚本家としても功を成し遂げた人ですが、私がすごいなと思うのはずっと独立プロで製作を続けてきたところ。

 今でこそ、監督が自分で資金を集めて映画を撮るというのはよくあることですが、新藤さんは1950年に「近代映画協会」を設立し、ずっとそこで戦ってきました。この「愛妻物語」は近代映画協会の第一作目の作品となります。何度も倒産の危機を迎えながらも這い上がって来て、いまだに映画を作り続けている。このへこたれない根性はこの下積みの時代に築かれたんじゃないだろうか。現在、全く住む世界は違いますが下っ端の私も見習うところが多く、時に胸が痛く、時に共感する部分もありました。

 妻を演じたのは、当時、宝塚から鳴り物入りで大映に入ったスターの乙羽信子。この脚本を読んだ乙羽信子は、ぜひこの役をやりたいと強く会社に訴えたそうです。当時の乙羽さんは、えくぼが大きくてとにかく、可愛い。変な話ですが血を吐いた後にまじまじと宇野重吉を見つめる顔には思わず、ゾクリと来ました。

 この映画をきっかけにして彼女は新藤さんのほとんどの作品に出演することになります。そして私生活においても、20年以上の不倫(新藤さんは戦後、再婚)を経て生涯のパートナーになりました。なんかそう考えると、新藤さんもやるなあと思いますが行動を起こしたのは乙羽さんの方だったそうです。「波乱万丈」でも一度やりましたからご存知の方も多いでしょうが。私もこんな年寄りになりたい。

 新藤監督自身がナレーションで語っているように、この作品はかなり私的なストーリーで二人が海辺で乳繰り合ってるシーン(また主人公の宇野重吉が不景気なツラなんでなんか笑ってしまう)なんかこっ恥ずかしくなりますが、今や大ベテランとなった監督でもこうした下積みがあったということは大変、勉強になります。人に歴史あり、やね。
また京都の昔の町並みも出てくるので京都の人はぜひ見るべし。何より、乙羽信子さんが可愛いんで見て惚れてください。私は惚れました。

監督、脚本:新藤兼人、撮影:竹村康和
出演:乙羽信子、宇野重吉、殿山泰司、菅井一郎、滝沢修、香川良介、大河内伝次郎

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