まずは一言おわび。先週紹介した映画ですが、題名間違ってました。「豚と狼と人間」と書いてましたが正しくは「狼と豚と人間」でした。アホや。何間違ってるんや。メールで指摘していただいた方、ありがとうございました。

 今日は「人斬り与太 狂犬三兄弟」。1972年10月に公開された映画です。同年5月に公開された「現代やくざ 人斬り与太」のシリーズになりました。もっとも前作をご覧の方はご存知でしょうが、主人公は死んでいるので全く別の作品となっています。「人斬り与太」シリーズについては深作まつり第九夜「現代やくざ 人斬り与太」で散々述べたので詳しく書きませんが深作監督のフィルモグラフィーの中ではかなり重要な作品になっています。

 敵対する組織の会長を刺殺した村井組の若衆権藤(菅原文太)は懲役六年の刑を受けた。「出てきた時は金バッジよ!」と意気揚揚と監獄に向った権藤であった。そして六年後。「兄貴!長らくのお勤めごくろうさんでした!」と居並ぶ幹部連中。「権藤。ようやったのう。わりゃ、男の中の男じゃ」と迎えるオヤジ。そんな妄想をする権藤であったが、現実は違った。「兄貴!」迎えたのは彼の相棒だった大野一人。(田中邦衛)何と組同士が手打ちしていたのだ。幹部どころか、彼は邪魔者。

 自暴自棄になった権藤はショバ荒らしを敢行。淫売宿のマダムをレイプ。店を乗っ取って暴力バーを始める。田舎這い出しの娘(渚まゆみ)を強姦する、相手の賭場を荒らす、相手の商売の邪魔をするなどめちゃくちゃ始める。権藤、大野に賭場で知り合った蛇使いのオッサン(三谷昇)を加えた三人はたちまち、大手組織にとって目障りなものになる。

 特に会長を刺殺された志賀(今井健二)は三人を付回し、遂に蛇オヤジをぶち殺す。志賀の親分、佐竹(渡辺文雄)は村井組長(内田朝雄)に権藤の引渡しを要求。追い詰められた権藤は村井に一旦、頭を下げるが相手にされず。遂に大野にまで愛想をつかされる。。

 前作も大概めちゃくちゃな主人公でしたが、より無軌道な主人公を文太が好演。前作では多少、「一度負けちまった犬は噛み方を忘れちまうんだ」と男の悲しみを感じさせる台詞はありますが今度の主人公は女は犯す、カタギをシバくといいこと、全くなし。唯一、渚まゆみにやさしくするシーンはありますが、絶対に友達になりたくないタイプ。

 深作の作品には暴力に憑かれた男が多く出演しますが、大きく分けて二タイプに分かれます。一つには世の中に対する鬱憤を暴力で晴らす「人斬り与太 狂犬三兄弟」タイプ。ひたすら突っ走りますが結果的には誰かのパシリになってるに過ぎず、肝心の相手には一死も報いることができない。「現代やくざ 人斬り与太」で唯一の理解者である安藤昇を刺すシーンが印象的でした。「仁義の墓場」の石川力男、「広島死闘編」の山中もこのタイプです。

 それに対して、もうわけわからずに暴力にとり憑かれた狂犬。何者にもとらわれずに場面を血で汚し続けます。これには「広島死闘編」の大友勝利、「いつかギラギラする日」の木村一八、荻野目慶子。そして「バトルロワイヤル」の桐山和雄。(安藤政信がやった殺人マシーン)当然ながら前者の方が見ててキツイ。

 「仁義の墓場」並みに悲惨な話しなのに、何故かコメディのようにも見えてしまうのは、文太演じるこの権藤が大声を出すと妙に声が高くなるからかだろうか、憎めないキャラクターになっているからだと思います。文太はやはり二枚目半なんだろうと思う。「トラック野郎」もハマってたしね。もちろん、仲間が三谷昇と田中邦衛なのもあるけどね。

 田中邦衛は現在、「北の国から」ばかりクローズアップされてますが(あの話もよく見るとかなりめちゃくちゃですが)男になりきれずに小ズルく生きることしかできない小悪党を演じさせるとこの人の右に並ぶ人はおらんと思う。渚まゆみも相変わらず。今回は台詞は一つもなし。

 「人斬り与太」シリーズは深作の代表作に挙げる人も多くいます。平山秀幸は「人斬り与太」を見た時にこう感じたそうです。「明らかに時代が変わってきているなと思いました。それはまた、当時のある世相とも妙に合ってるような気がしましたね。」

 この1972年という年は、浅間山荘事件により学生運動が終結し、田中角栄の日本列島改造論による先進国への道を歩みだした年でもありました。なお横井庄一、小野田寛郎の帰還もこの年でした。戦後の一つの節目であったと思います。映画界においても仁侠映画が衰え、観客は新しい映画を求めていました。その翌年、「仁義無き戦い」が公開されるのです。

監督:深作欣二、企画:俊藤浩滋、脚本:松田寛夫、神波忠男、撮影:仲沢半次郎、音楽:津島利章
キャスト:菅原文太、田中邦衛、渚まゆみ、渡辺文雄、三谷昇、今井健二、内田朝雄、室田日出男、小林稔持

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