深作まつり第九夜「博徒外人部隊」〜ヤマトンチュ、なんぼのもんじゃ〜
2003年4月10日 深作欣二が「沖縄でヤクザ映画を撮ることになったので」と、オレを訪ねて来たのは昨年9月(1971年当時)、沖縄暴力団と売春地帯、少年非行等々について若干解説し、(略)
今夜の深作まつりは「博徒外人部隊」。1971年の沖縄返還直前に作られた作品です。上述の引用文は深作監督と親交があったルポライター、竹中労の「琉球共和国」から取ったものです。
当時、竹中労は「話の特集」などに沖縄についての記事を多く書いていました。曰く「沖縄、日本にあらず」。保守、革新揃っての本土復帰の万歳、万歳の世相の中で彼の考えは極めて異端でした。この映画もそうした竹中労の思想を色濃くついでいます。深作監督と竹中労の親交はこの後も続きますが、「浪人街」を巡るトラブルで決裂します。
大組織・大東会に組織をつぶされたヤクザ一家は沖縄に新しい縄張りをもとめてやってきた。早速、地元のボス、具志堅を撃ち殺し縄張りを築いてしまった。面白くないのは港湾事業、波照間は地元の愚連隊である与那原兄弟を使い、彼らを殺そうとする。
弟の狂犬・次郎(ジルー)は部下を率いて攻め込む。リーダーの郡司は仲間を失いながらも次郎を生け捕りにして、与那原兄と交渉を行う。弟を無傷で返還した郡司に惚れた与那原兄は二度と攻撃しないことを誓う。
大東会は郡司がボスを狙撃した工藤をかくまったことを恨んでおり、遂に沖縄進出を決める。部下をズラリと並べての大名行列。地元のボスは震え上がって慌てて軍門に下る始末。これに腹を立てたのは与那原兄弟。ヤマトンチュ、なんぼのもんじゃ、と抗争が始まるが。。
従来のヤクザ映画でストーリーに新鮮味はありませんが沖縄という風味が入って随分面白くなっています。竹中労が指摘するようにこの映画では沖縄人(与那原兄弟)は明らかに日本とは違う民族として扱われています。日本と琉球は全く成り立ちは違うし、一つの民族と言い切るのは難しい。この映画はそうした沖縄の特殊性を生かしています。「ナヴィの恋」にしても「豚の報い」にしても以後、作られた沖縄の映画は「日本とは違う」沖縄を題材にした作品になっています。「博徒外人部隊」はそうした映画の先駆けになったのではないでしょうか。
今週の素敵な一言
「終戦後のドサクサならなあ。。あの頃は面白かった。。もう日本にはそんなところはないなあ。。」
今夜の深作まつりは「博徒外人部隊」。1971年の沖縄返還直前に作られた作品です。上述の引用文は深作監督と親交があったルポライター、竹中労の「琉球共和国」から取ったものです。
当時、竹中労は「話の特集」などに沖縄についての記事を多く書いていました。曰く「沖縄、日本にあらず」。保守、革新揃っての本土復帰の万歳、万歳の世相の中で彼の考えは極めて異端でした。この映画もそうした竹中労の思想を色濃くついでいます。深作監督と竹中労の親交はこの後も続きますが、「浪人街」を巡るトラブルで決裂します。
大組織・大東会に組織をつぶされたヤクザ一家は沖縄に新しい縄張りをもとめてやってきた。早速、地元のボス、具志堅を撃ち殺し縄張りを築いてしまった。面白くないのは港湾事業、波照間は地元の愚連隊である与那原兄弟を使い、彼らを殺そうとする。
弟の狂犬・次郎(ジルー)は部下を率いて攻め込む。リーダーの郡司は仲間を失いながらも次郎を生け捕りにして、与那原兄と交渉を行う。弟を無傷で返還した郡司に惚れた与那原兄は二度と攻撃しないことを誓う。
大東会は郡司がボスを狙撃した工藤をかくまったことを恨んでおり、遂に沖縄進出を決める。部下をズラリと並べての大名行列。地元のボスは震え上がって慌てて軍門に下る始末。これに腹を立てたのは与那原兄弟。ヤマトンチュ、なんぼのもんじゃ、と抗争が始まるが。。
従来のヤクザ映画でストーリーに新鮮味はありませんが沖縄という風味が入って随分面白くなっています。竹中労が指摘するようにこの映画では沖縄人(与那原兄弟)は明らかに日本とは違う民族として扱われています。日本と琉球は全く成り立ちは違うし、一つの民族と言い切るのは難しい。この映画はそうした沖縄の特殊性を生かしています。「ナヴィの恋」にしても「豚の報い」にしても以後、作られた沖縄の映画は「日本とは違う」沖縄を題材にした作品になっています。「博徒外人部隊」はそうした映画の先駆けになったのではないでしょうか。
今週の素敵な一言
「終戦後のドサクサならなあ。。あの頃は面白かった。。もう日本にはそんなところはないなあ。。」
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