アメリカの内と外「ボウリング・フォー・コロンバイン」
2003年3月30日 今週末から公開された「ボウリング・フォー・コロンバイン」の先行レイトショーに行って来ました。監督は「アホでマヌケなアメリカ白人」の著者、マイケル・ムーア。
もじゃもじゃ頭に出っ腹、と見た目は普通のオッサンだが大変、頭が切れます。ありとあらゆる資料を読み込んで分析を行い、突撃取材で本音を聞き取る。アカデミー賞受賞でスピーチしていた姿を覚えておられる方もいらっしゃるでしょう。
私がこの映画を見た当日(3月24日)、この映画はカンヌ国際映画祭特別賞受賞に引き続き、アカデミードキュメンタリー賞を受賞しました。東京では恵比寿ガーデンシネマにて記録的なヒットを樹立。シネコンを始め、多くの映画館で上映されました。満を持しての関西上陸。平日レイトでも座れぬかもしれぬ、と恐る恐るみなみ会館に行くと客はちらほら。半分ぐらいの入りでした。ただ昨日の梅田ガーデンシネマはごった返していたそうですからやはり注目度はナンバー1でしょう。
1999年の春。アメリカの片田舎、コロラド州のコロンバイン高校で銃の乱射事件が起こった。犯人は二人の高校生。12人の生徒と1人の教師を射殺し、最後に打ち抜いたのは自らの頭だった。別名、トレンチコートマフィア事件である。
この事件は全米を震撼させた。あらゆるメディアが原因を探し始めた。暴力映画が悪い、いや暴力ゲームが悪い。やれ家庭の崩壊だ。いや、少年がファンだったマリリン・マンソンが悪いのだ。彼のコロラド州で行われる予定だったコンサートは中止に追い込まれた。
「テレビネーション」のホストを勤めるマイケル・ムーアはこの事件を調べ始めて、ある事実に突き当たる。この日、二人の少年は朝の6時からボウリングに興じていたと言うのだ。彼は言う。「マリリン・マンソンのライブを禁止するのなら、なぜボウリングを禁止しないのか。」本当に暴力映画が悪いのか?アメリカ映画は世界で公開されている。本当に暴力ゲームが悪いのか?暴力ゲームのほとんどは日本製だ。家庭の崩壊が原因か?離婚率はイギリスの方が高い。なのに、イギリス、ドイツ、日本の銃犯罪の件数は500にも満たない。アメリカの件数は10000を超えている。。マイケル・ムーアはマイク片手に突撃取材を始めた。自らが住む、アメリカの病巣を見極めるべく。
そしてミシガン州フリント、彼が生まれ育った町で大事件が起こる。6歳の少年が家にあった銃で同級生の少女を射殺したのだ。そして彼は最後のインタビューを申し込む。インタビューの相手は全米ライフル協会の会長・チャールストン・ヘストンであった。
二時間近くあるドキュメンタリーですが厭きることなく、見せてくれます。彼は元々テレビの人なのでこういう堅い話題をやわらかく見せるのがとてもうまい。日本でもドキュメンタリー作家は多くいますが、こうした工夫が全く足りない。私は森達也(「A」、「A2」)を高く評価していますが、彼でもこうした視点には欠けているような気がする。総じて「この人を見よ!」的な見せ方でこれでは興味のある人しかついてこない。はっきり言うと市民運動のイベントに使われるドキュメンタリー作りしかしていない。多くのドキュメンタリーを公開し続けたBOX東中野の閉館も決まり、今後もこの傾向が強まると思いますが、少しはマイケル・ムーアを見習って「堅い話題をやわらかく」見せる工夫をしていただきたい。
映画の中でフリントの保安官はこう呟く。
「もし銃があったら、この世は平和なるのならアメリカは一番平和だ。しかし真相は逆だ。」
日本ならどうだろう。実生活で「こいつ、殺してやろうか」と思うことはしょっちゅうである。しかし我慢する。銃社会容認派は言う。「罪を犯した者には重い罪が与えられる。刑罰が犯罪の抑止力になる」と。確かにそうである。誰だって刑務所なんか行きたくない。しかしそれは冷静な思考である。もう頭が湯だってしまった人はそんなことを考えない。もしくは、刑務所に入ってもかまわないと思って殺すことだってありえる。人間はそんなに上等なもんじゃないのだ。殺そうと決めるが、ここで気付く。どうやって殺そうか、と。アメリカはここが違う。殺そうと思った瞬間に既にベレッタを握っているのである。後は引き金を引くだけ。。これが銃の危険性である。実際、カッとなって殺す対象は肉親であることが多い。そして後悔する。想像力が足りないのだ。
映画の中でこういうやり取りがある。
「俺は枕の下に44口径のマグナムを持ってるんだぜ」
「本当か?一度見せてくれ」
(中略)
「憲法は銃の所持を認めているぜ」
「違う、武器の所持を認めているんだ。核兵器を持とうと思うか?」
「いらないね」
「許されたら持ちたい?」
「許されたっていらない。」
「規制は必要だと思う?」
「ああ、必要だね。世の中、物騒な奴ばっかりだ」
世間から見れば枕元に44口径の銃を持っている奴は充分、物騒だと思う。しかし本人は気付いていないのだ。もうお気付きでしょう。これが現在のアメリカの姿なんである。イラクも北朝鮮も確かに危険である。しかし一番怖いのは国際的な合意を待つという余裕すらも無く、攻撃を始めてしまう世界最強の国である。何怯えることあろう、他の国にはもはや理解できないのだ。私にも理解できない。9・11がそのきっかけになったと思うが根はずっとずっと深い。そうしたアメリカの姿がおぼろげながら見えて来るきっかけになる映画です。ぜひぜひ、万難を排してご覧ください。
もじゃもじゃ頭に出っ腹、と見た目は普通のオッサンだが大変、頭が切れます。ありとあらゆる資料を読み込んで分析を行い、突撃取材で本音を聞き取る。アカデミー賞受賞でスピーチしていた姿を覚えておられる方もいらっしゃるでしょう。
私がこの映画を見た当日(3月24日)、この映画はカンヌ国際映画祭特別賞受賞に引き続き、アカデミードキュメンタリー賞を受賞しました。東京では恵比寿ガーデンシネマにて記録的なヒットを樹立。シネコンを始め、多くの映画館で上映されました。満を持しての関西上陸。平日レイトでも座れぬかもしれぬ、と恐る恐るみなみ会館に行くと客はちらほら。半分ぐらいの入りでした。ただ昨日の梅田ガーデンシネマはごった返していたそうですからやはり注目度はナンバー1でしょう。
1999年の春。アメリカの片田舎、コロラド州のコロンバイン高校で銃の乱射事件が起こった。犯人は二人の高校生。12人の生徒と1人の教師を射殺し、最後に打ち抜いたのは自らの頭だった。別名、トレンチコートマフィア事件である。
この事件は全米を震撼させた。あらゆるメディアが原因を探し始めた。暴力映画が悪い、いや暴力ゲームが悪い。やれ家庭の崩壊だ。いや、少年がファンだったマリリン・マンソンが悪いのだ。彼のコロラド州で行われる予定だったコンサートは中止に追い込まれた。
「テレビネーション」のホストを勤めるマイケル・ムーアはこの事件を調べ始めて、ある事実に突き当たる。この日、二人の少年は朝の6時からボウリングに興じていたと言うのだ。彼は言う。「マリリン・マンソンのライブを禁止するのなら、なぜボウリングを禁止しないのか。」本当に暴力映画が悪いのか?アメリカ映画は世界で公開されている。本当に暴力ゲームが悪いのか?暴力ゲームのほとんどは日本製だ。家庭の崩壊が原因か?離婚率はイギリスの方が高い。なのに、イギリス、ドイツ、日本の銃犯罪の件数は500にも満たない。アメリカの件数は10000を超えている。。マイケル・ムーアはマイク片手に突撃取材を始めた。自らが住む、アメリカの病巣を見極めるべく。
そしてミシガン州フリント、彼が生まれ育った町で大事件が起こる。6歳の少年が家にあった銃で同級生の少女を射殺したのだ。そして彼は最後のインタビューを申し込む。インタビューの相手は全米ライフル協会の会長・チャールストン・ヘストンであった。
二時間近くあるドキュメンタリーですが厭きることなく、見せてくれます。彼は元々テレビの人なのでこういう堅い話題をやわらかく見せるのがとてもうまい。日本でもドキュメンタリー作家は多くいますが、こうした工夫が全く足りない。私は森達也(「A」、「A2」)を高く評価していますが、彼でもこうした視点には欠けているような気がする。総じて「この人を見よ!」的な見せ方でこれでは興味のある人しかついてこない。はっきり言うと市民運動のイベントに使われるドキュメンタリー作りしかしていない。多くのドキュメンタリーを公開し続けたBOX東中野の閉館も決まり、今後もこの傾向が強まると思いますが、少しはマイケル・ムーアを見習って「堅い話題をやわらかく」見せる工夫をしていただきたい。
映画の中でフリントの保安官はこう呟く。
「もし銃があったら、この世は平和なるのならアメリカは一番平和だ。しかし真相は逆だ。」
日本ならどうだろう。実生活で「こいつ、殺してやろうか」と思うことはしょっちゅうである。しかし我慢する。銃社会容認派は言う。「罪を犯した者には重い罪が与えられる。刑罰が犯罪の抑止力になる」と。確かにそうである。誰だって刑務所なんか行きたくない。しかしそれは冷静な思考である。もう頭が湯だってしまった人はそんなことを考えない。もしくは、刑務所に入ってもかまわないと思って殺すことだってありえる。人間はそんなに上等なもんじゃないのだ。殺そうと決めるが、ここで気付く。どうやって殺そうか、と。アメリカはここが違う。殺そうと思った瞬間に既にベレッタを握っているのである。後は引き金を引くだけ。。これが銃の危険性である。実際、カッとなって殺す対象は肉親であることが多い。そして後悔する。想像力が足りないのだ。
映画の中でこういうやり取りがある。
「俺は枕の下に44口径のマグナムを持ってるんだぜ」
「本当か?一度見せてくれ」
(中略)
「憲法は銃の所持を認めているぜ」
「違う、武器の所持を認めているんだ。核兵器を持とうと思うか?」
「いらないね」
「許されたら持ちたい?」
「許されたっていらない。」
「規制は必要だと思う?」
「ああ、必要だね。世の中、物騒な奴ばっかりだ」
世間から見れば枕元に44口径の銃を持っている奴は充分、物騒だと思う。しかし本人は気付いていないのだ。もうお気付きでしょう。これが現在のアメリカの姿なんである。イラクも北朝鮮も確かに危険である。しかし一番怖いのは国際的な合意を待つという余裕すらも無く、攻撃を始めてしまう世界最強の国である。何怯えることあろう、他の国にはもはや理解できないのだ。私にも理解できない。9・11がそのきっかけになったと思うが根はずっとずっと深い。そうしたアメリカの姿がおぼろげながら見えて来るきっかけになる映画です。ぜひぜひ、万難を排してご覧ください。
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