春は卯月。長く続いた冬にうんざりした私は春風に背を押されるように旅に出た。行き先は四国。最初の二日は松山、金毘羅を家族と回る。二日目の夕刻、家族と別れ、過客として、小豆島、高松、屋島と回る3泊4日の旅である。先ほど「春風に背を押されるように」と書いたが、この4日間は雨こそ降らなかったが大層寒かった。四国は暖かいと聞いていたのだが。。

 1日目。京都南インターを8時に出発し、家族を乗せた車は名神、山陽道を抜け、しまなみ海道に尾道から入る。運転手は私。ほぼ1年に渡る、記録的な教習所生活を経て取得した免許を得て5年。高速道路を走るのは初めてである。乗るまでは不安の連続であったが飛んで抜ければ夏の海。(by小林亜星)常時120キロを越えるスピードで走る快感はセックスに勝るとも劣らず。(いや劣るな)山陽道、しまなみ海道(税金の無駄使い その1)と土曜日ながら車が前に一つもなく、アヒャヒャ状態であっという間に最初の目的地、大三島に到着。大山祗神社にて参拝。(なお、昭和天皇の海洋研究からできたと言う海事博物館は鯨の胎児を始めとして、海がめの剥製、マンボウの標本など気持ちの悪いものばかり集めた腐れスポットであった。)夕方には今治を越えて道後温泉に到着。早速、道後温泉本館に向うが観光客が余りにも多く諦めてしまう。浴衣に丹前と言う観光客丸出しの格好で松山の夜をブラブラ。お土産用のタルトと讃岐うどんを買って早々に引き上げてしまう。

 2日目。ホテルにて朝風呂とバイキングの朝食を楽しんで松山市立正岡子規博物館に立ち寄る。正岡子規の業績をしっかり紹介してくれる、見甲斐のある博物館で思わず1時間も逗留してしまう。松山城を訪れる予定もキャンセル。松山自動車道(税金の無駄使い その2)を飛ばして金毘羅に向う。昼過ぎに金毘羅到着。1時間かけてゆっくり参拝。うどん屋に立ち寄り、坂出に向う途中で丸亀にて車から降りる。ここから一人旅の始まりである。丸亀城をのぞいて夕方には高松に到着。駅前でレンタサイクルを借りて夜の高松をグルグル。

 3日目。朝より小豆島に向う。当初、レンタサイクルで回る予定であったが、あまりの広さに諦めて定期観光バスを利用することにする。ガイドさんによると小豆島は山道が多く、競輪の選手の練習場としても利用されているらしい。定期観光バスは銚子渓、寒霞渓、二十四の瞳映画村、オリーブ公園と小豆島の観光地をくまなく回ってくれてとっても便利。しかも私を含んで客は3人。たっぷり堪能できた。寒霞渓はまた秋にでも行きたい。その後、尾崎放哉、土渕海峡に立ち寄って夕方に高松に帰還。小豆島の名産は醤油とオリーブ、そうめん。醤油ソフトクリームなる珍妙な食い物がある。醤油ソフトとは言え、キャラメルのような味がする。食う価値は。。。ないな。なお、ごま油の工場があるからか、町全体がごま油の匂いを放っている。臭い。

 4日目。レンタサイクルにて高松市街をグルグル。菊地寛記念館、栗林公園、玉藻公園と見て回る。昼からは屋島にて四国村観光。夕方、私を乗せた高速バス神戸淡路鳴門自動車道(税金の無駄使い その3)を通り、京都に帰って行った。鳴門の渦に思わず、合掌。

 四国に行くのは二回目になる。一度車で旅行してみたかったので今回はよい経験となった。今度は一人で行こうと思う。松山、高松はなかなか過ごしやすそうな街であった。街を歩いて気付くのは観光客の多さである。特に松山の道後温泉は大盛況であった。なお、その観光客のほとんどは関西である。東京にとっての箱根、草津のように四国は関西にとっての保養地、観光地のような位置を占めるようになっているのだ。

 そのせいかわからないが、松山、高松共に風俗店がやたらに多かった。道後温泉の裏はストリップだらけである。高松も繁華街になると、かなり多い。客引きが強引で難渋した。

 「名物にうまい物なし」とはよく言われるが必ずしもこの言葉は正しくない。松山のタルト、高松の讃岐うどん。いずれも一級品である。讃岐うどんに関しては最近、ブームになっておりあんまりいい感情を持っていなかった。有名店である「宮武うどん」を訪れたが行列までして食うのはアホらしいと引き返してしまった。しかし国道で見つけた、あんまり有名でない製麺所で一つ食べてみたのだが思わずうなってしまう。やわらかくてボリュームはあるのだが、コシが強い。いくら食べても厭きが来ない。

 3日間で川福本店、上原屋本店、手打ちうどん めん、わら家とうどん屋を駆け巡った。特にうまかったのはわら家。「日本一のうどん屋」と看板にある。「看板に偽りなし」である。上原屋本店はうどんはもちろんだが天ぷら、コロッケなどのサイドメニューもとてもおいしい。

 高松、松山と取り立てて印象に残る街ではなかったが旅が終わった今、私はとてもわびしい気持ちでこの日記を綴っている。旅が終わった翌日はいつもこうである。三木清は「人生論ノート」に「旅は非日常である」と書いた。旅の醍醐味は日常からの脱出である。たとえ隣町であろうとも、旅は旅である。しかし日常あってこその非日常というのも事実である。またもや旅に出る日を夢見て私は日常を生きるのだ。

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