ドキュメンタリー「A2」
2002年11月11日 くしくも日本のドキュメンタリー2連発。先日言った通り、ドキュメンタリーとは扱う題材が命。この映画で扱う題材は超危険物、それは何とあのオウム教団だったのです。
監督の森さんは95年に「A」というオウムを扱ったドキュメンタリーを撮りました。元々はマスコミの仕事であったようですが途中で放映されないこととなって彼が独力で仕上げた作品です。私、映画ファンになったのは98年ごろでしたがその時期からそうしたドキュメンタリーがあることは知っておりました。ちなみにこの「A」はビデオ化しておりません。石井輝男の「地獄」でさえもDVD化される時代において、唯一ビデオ化されない作品かもしれません。その「A」の続編たる「A2」もビデオ予定はないでしょう。
難しい、と思います。こうしたドキュメンタリーを撮るのは。本来、ドキュメンタリーとは政治的意思を持った作品が多く、60年代に多く作られたドキュメンタリーは左翼の立場からとられたもの(小川紳介とか)がほとんどでした。先日の繰り返しになりますが「ゆきゆきて、神軍」が画期的だったのは、何の意見をはさむことなく、淡々と撮っていることでした。実は意外にこれが難しい。何故なら撮っているうちにある種の思い入れがどうしても出てくるからです。私も前半はこの監督はオウムを擁護しとるんとちゃうか?と懐疑的でしたが、信者に対して「あの事件についてどう考えていますか」とか厳しい質問をちゃんとしています。
現在、オウム信者は厳しい立場にあります。まあ当然なんでしょうが。少し前ですがオウム信者の転居届を市役所が受け付けない、ということがありました。こんなのは本当は絶対にやってはいけないことなのですが、世間の目は同情的でした。ドキュメンタリーの中で描かれる、住民のオウム反対運動はすさまじいです。
「オウムの人と口を聞いてはいけません」
「オウムに触れてはいけません」
ここまで行くともう笑うしかありません。
ただそうした看板の前で住民と信者が楽しそうに喋るシーンをカメラは映し出します。戦前、社会主義者には常に尾行がついていましたが、そのうち尾行している刑事と主義者が仲良くなってしまったこともあったようです。もっとも、仲良くなって情報を聞き出そうという作戦もあるのですが。ただ、身近にいるとどうしても情はうつる。
「あんた、もうオウムなんかやめちゃいなよ。こっちの世界に戻ってきたら、俺達が面倒みてやるからさ」
信者が自主退去する際にはオウムグッズをもらったり、「がんばんなよ!」と激励したりする。基本的に信者さんは大人しくて、人のいい人が多い。こうした交流も各地であったとは思います。但し、それは「鬼が来た!」で結局、日本兵が中国人を皆殺しにしたように表層的な付き合いで本心からの交流じゃないと思う。作品の中で右翼がオウム信者と話し合いたいとして警察に止められるシーンがあるのだが、右翼が言った「しっかりとした謝罪を行って解散すべき」というのは正論で、強制的にでも解散すべきであったと思います。
この映画を見ていると信者さんには愛すべき人が多く、見ようによっては住民の方が悪者に見えてしまうことがあります。但し、私が映画を見ている最中にぬぐいきれなかった不安があります。こいつら、いつまでこんなことやってんだろ、と。海水呑んで吐き出したり、電線だらけの帽子をかぶることがどんな修行かは知らないが森さんが荒木広報部長に言ったように「結局、あなた達がきっちりとした総括をしない限り、世間との融解はないと思いますよ」というのが本当でしょう。住民の立場になっても、いざ自分の隣にオウム信者が住んでいると思うと気味が悪い。実際に上九一色村の人は健康被害がありましたし。(軽いサリン被害が出ている。)そういう不安を生み出しているのはオウム教団の煮え切らない態度なのです。
このドキュメンタリーはただ、弱い立場の人を応援するというセンチなものではなく、様々なことを考えさせてくれます。私自身も以前、キリスト教の教会に通っていた時期がありましたが、宗教というものは必要ですし、残るものだと思います。信仰とは何か、社会とは何か、を真剣に考えさせてくれる映画です。ビデオになることは難しいでしょうから、上映スケジュールがあるのなら万難を排し、ぜひごらんください。
監督の森さんは95年に「A」というオウムを扱ったドキュメンタリーを撮りました。元々はマスコミの仕事であったようですが途中で放映されないこととなって彼が独力で仕上げた作品です。私、映画ファンになったのは98年ごろでしたがその時期からそうしたドキュメンタリーがあることは知っておりました。ちなみにこの「A」はビデオ化しておりません。石井輝男の「地獄」でさえもDVD化される時代において、唯一ビデオ化されない作品かもしれません。その「A」の続編たる「A2」もビデオ予定はないでしょう。
難しい、と思います。こうしたドキュメンタリーを撮るのは。本来、ドキュメンタリーとは政治的意思を持った作品が多く、60年代に多く作られたドキュメンタリーは左翼の立場からとられたもの(小川紳介とか)がほとんどでした。先日の繰り返しになりますが「ゆきゆきて、神軍」が画期的だったのは、何の意見をはさむことなく、淡々と撮っていることでした。実は意外にこれが難しい。何故なら撮っているうちにある種の思い入れがどうしても出てくるからです。私も前半はこの監督はオウムを擁護しとるんとちゃうか?と懐疑的でしたが、信者に対して「あの事件についてどう考えていますか」とか厳しい質問をちゃんとしています。
現在、オウム信者は厳しい立場にあります。まあ当然なんでしょうが。少し前ですがオウム信者の転居届を市役所が受け付けない、ということがありました。こんなのは本当は絶対にやってはいけないことなのですが、世間の目は同情的でした。ドキュメンタリーの中で描かれる、住民のオウム反対運動はすさまじいです。
「オウムの人と口を聞いてはいけません」
「オウムに触れてはいけません」
ここまで行くともう笑うしかありません。
ただそうした看板の前で住民と信者が楽しそうに喋るシーンをカメラは映し出します。戦前、社会主義者には常に尾行がついていましたが、そのうち尾行している刑事と主義者が仲良くなってしまったこともあったようです。もっとも、仲良くなって情報を聞き出そうという作戦もあるのですが。ただ、身近にいるとどうしても情はうつる。
「あんた、もうオウムなんかやめちゃいなよ。こっちの世界に戻ってきたら、俺達が面倒みてやるからさ」
信者が自主退去する際にはオウムグッズをもらったり、「がんばんなよ!」と激励したりする。基本的に信者さんは大人しくて、人のいい人が多い。こうした交流も各地であったとは思います。但し、それは「鬼が来た!」で結局、日本兵が中国人を皆殺しにしたように表層的な付き合いで本心からの交流じゃないと思う。作品の中で右翼がオウム信者と話し合いたいとして警察に止められるシーンがあるのだが、右翼が言った「しっかりとした謝罪を行って解散すべき」というのは正論で、強制的にでも解散すべきであったと思います。
この映画を見ていると信者さんには愛すべき人が多く、見ようによっては住民の方が悪者に見えてしまうことがあります。但し、私が映画を見ている最中にぬぐいきれなかった不安があります。こいつら、いつまでこんなことやってんだろ、と。海水呑んで吐き出したり、電線だらけの帽子をかぶることがどんな修行かは知らないが森さんが荒木広報部長に言ったように「結局、あなた達がきっちりとした総括をしない限り、世間との融解はないと思いますよ」というのが本当でしょう。住民の立場になっても、いざ自分の隣にオウム信者が住んでいると思うと気味が悪い。実際に上九一色村の人は健康被害がありましたし。(軽いサリン被害が出ている。)そういう不安を生み出しているのはオウム教団の煮え切らない態度なのです。
このドキュメンタリーはただ、弱い立場の人を応援するというセンチなものではなく、様々なことを考えさせてくれます。私自身も以前、キリスト教の教会に通っていた時期がありましたが、宗教というものは必要ですし、残るものだと思います。信仰とは何か、社会とは何か、を真剣に考えさせてくれる映画です。ビデオになることは難しいでしょうから、上映スケジュールがあるのなら万難を排し、ぜひごらんください。
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